1話 人を喰らう家

07.思わぬ災難


 身体を半回転させながら斬り付ける。張りのない、言うなれば市販の肉を包丁で捌こうとしている時の様な感覚。その感覚を味わって初めてギルの言わんとする意味を理解した。成る程、これは生き物の感触ではない。良くて死肉。

「うおっ!? サディアス! 俺達もいるんだぞ!」
「分かっている」

 非難がましい仲間の声を背に浴びながら魔物の動向を見守る。斬り裂かれた部分からは一滴の血も流れていない。ぱっくりと断面が見えているが、内容物が詰まっているようにも見えなかった。
 案の定、頭の大きな切れ込みは徐々に徐々にくっついていく。それが完全に接着される前に、やはりそれはむくりと起き上がった。

 リビングにあったメモの意を理解する。成る程これは魔物とは別の生き物だ。怪物、と形容したくなるのも分かる。

「マジで不死身っぽいわね。あたしが凍らせてあげよっか?」

 言うが早いか、両手をメガホンの形にしたレアが、その即席メガホンに息を吹き込んだ。冷たい風が頬を撫で、手のメガホンから放射線状に冷気が広がる。
 一瞬で冷凍庫の中にいるかのような肌寒さが満ちた。ただし、ギルの周りだけは太陽の光でも当たっているように温かい。当の本人も別段寒くは無さそうだ。サディアスはその様を認め、そっと彼の隣に移動した。やはり温かい。

 レアの吐息は廊下を完全に凍り付かせ、ギルの周囲を除いて壁から天井まで全てに雪化粧を施した。室内で雪というのも乙なものだが、如何せん寒い。足場も滑りそうでやや不安だ。
 彼女の攻撃をまともに受けた怪物はと言うと、凍り付いてその場に固まっている。普通の生物なら間違い無く昇天しているだろうが――

「オッケー! さあ、サディアス! 粉々にしちゃって良いわよ!!」
「なかなかに残酷な要求をしてくるな、レアよ」
「いやだって、裏庭に埋めるにしたってこのサイズじゃやりにくいでしょ」

 それもそうだ、と動かない標的に向かって得物を振り上げる。
 ――が、その行動は『ウゥウウウウウウ』、という非常事態の時に鳴る警報のような音によって遮られた。
 何事かと周囲を見回す。氷付けにされたこの怪物が音を発しているのかと思ったが、もっと遠くから音が聞こえてきているようだ。

「あっ! 廊下の角、曲がった所から聞こえてくるな!」
「な、何なの? うるさっ! ちょっとあたし、止めて来る」

 レアが怪物の横を通り抜けて角を目指そうと身を翻す。しかし、完璧に凍っていたはずの目がぎょろついた例の怪物が全く唐突に動き始めた。破壊的な音が響くと同時に、纏わり付いていた分厚い氷がバラバラと落ちて行く。

「レア、危ないぞ!」

 自由になった怪物に接近していたレアの腕を掴み、こちら側へと引き戻す。

「あ、ありがと……」

 そんなレアの珍しい礼すら微かにしか聞こえない程にサイレンは鳴り続けている。それに一体何の意味があるのか問いたいが、耳の良いギルはげんなりと顔を曇らせているようだ。早く止めてきてやらないと、しかし目の前にも怪物が――
 音の元凶が角から頭を除かせた。胴は目が大きな怪物と変わらない。しかし、その小さな胴に乗っているのは拡声器。メガホンのような形の頭から、絶え間なく騒音を奏で続けている。

 その、拡声器の背後。音に釣られてやって来たのだろうか。頭部の形が違う怪物が更に2体増えた。これを見るに、たくさんいるようだ。
 全部で4体。

「撤退するぞ。暖簾に腕押し、対策を考える必要がある。粉々にしたところでこれをどうにか出来るとは思えん」
「うー、了解! 突っ立ってないで行こうぜ、レア!」
「別に突っ立ってないでしょ!」
「喧嘩をするな。駄目だな、固まっていては逃げられ無さそうだ。バラバラに逃げるぞ」

 示し合わせたかのように、ギルとレアが同じ方向へ走って行った。こういう時、一人になるのはいつも自分だ。
 しかしまあ、仕方が無いかとサディアスもまた逆方向へと駆け出した。

 ***

 3分くらい追いかけっこを嗜んだだろうか。
 気付けば追って来ていた怪物達の姿は無かった。足はあまり速くないようだったが、この狭い屋敷の中での追いかけっこというのは厳しいものがあったと言えるだろう。そうでなければ既に逃走に成功していた。

 ――ここはどこだ?
 1階を走ったのは覚えている。というか、2階へ行くつもりだったので1階の探索はリビングしかしていない。

 よくよく見てみれば風呂や洗面所など、どうやら生活スペースらしい。

「……ん」

 風呂の中からカタン、という微かな音がした。さっきの怪物だろうか。反射的に息を潜め、動向を伺う。丁度良い、今は他を巻き込む恐れも無いわけだし本当に倒せない化け物なのかを検証してやろう。1体相手なら、細切れくらいまでならいけるはずだ。
 背に負った大剣の柄を握る。風呂場を開けた瞬間、抜きざまに振り下ろそう。

 そろそろと風呂場に近付き、一思いに開け放つ。

「ぐっ……!?」

 瞬間、視界が何故か天井を向いた。遅れてやってくる腹部への強い――否、強すぎる衝撃。身体が浮き、続いて視界がはちゃめちゃに揺れて、止まる。噎せ返るような血の臭いが鼻孔を擽り、頭の片隅が痺れていく。
 錆び付いた思考が緩やかに停止していくなか、レアのものではない女の声が鼓膜を打った。

「あっ!? 人だった!! うわっ、大丈夫? ねぇ、ちょっと!」

 ――大丈夫だ、生きている。
 そう返事した。勿論、心中で。