1話 人を喰らう家

06.緊張感とモチベーション


「このメモだが、鵜呑みにすべきか否か……」
「こいつ等の実力不足でしょ。倒せないと思い込んでるだけよ!」
「不死身の類かもしれん」
「サディアス! それってまさか、自虐ネタ? まあでも、仮に不死の魔物だったとしてバラバラに刻んで地面にでも埋めてしまえばいいのよ」

 ゾッとする話だが、何度でも復活するアンデット系の魔物はそうやって処理する事もある。理には適った方法なのだろ。
 リビングの品を物色していたギルが、なあ、と言葉を発する。

「じゃあつまり、その『怪物』とかいうのを見つけたらボッコボコにすりゃ良いのか?」
「囲んで殴る! それでいいわよね、サディアス?」

 殺意が高すぎる。しかし、言っている事は正しいので頷いておいた。
 それにしてもこのメモ、実に切実な、切羽詰まった感情が滲んでいるようだが。本当にこの警告を無視して行動してもいいのだろうか。最悪、一度撤退も視野に入れた方が安全かもしれない。

「屋敷の全容を把握したい。2階へ行くぞ」

 メモをポケットにねじ込んだサディアスはリビングに背を向けた。止まる事ができない、まるで鮫か何かのような性質を持ったギルが弾かれたようにドアへと駆け出す。部屋の中で延々と話込む自分とレアには飽き飽きしていたのだろう。
 駆け出した勢いのまま、ギルがドアを開け放つ。
 細い廊下の先をゆらりとした何かが通り過ぎて行った。足しか見えなかったが、およそ人とは思えない灰色の体躯だ。

「ああっ! アイツが今回の討伐対象か!?」
「ちょっと、ギル! 待ちなさい!!」

 何の準備も整えること無く未確認生物を追い始めるギル。止めるような言葉を投げ掛けたレアもまた、彼の後を追って走り出した。

「何だ、この状況は……」

 ワンテンポ遅れたが、ギルを追うべく駆け出す。意味深なメモが見つかったり、行方不明者が出ているというのに迂闊過ぎる行動。そこがギルらしいと言えばらしいが、先に追うなと声を掛けてやるうべきだった。
 ギルを追って行ったレアの後を追う、という謎の構図なのだがレアの通った道はひんやりと冷えているので分かり易い。
 廊下の角を曲がる――

「うっ……」

 曲がった先で立ち止まっていたレアにぶつかりそうになった。慌てて足を止め、身を捩るも肩がぶつかる。

「すまん」
「あ、サディアス! あれ!」
「なあ、見ろってこれ! ザコくさくね!?」

 ――子供達を引率している気分だ。
 そうは思ったが、ワイワイと騒ぐ仲間達が指さす先に視線を移す。
 それはお世辞にも『強いであろう』魔物の姿ではなかった。全身灰色、ごつごつしてまるで石のようだ。頭より一回り小さい胴、細くて短い手足。しかし、どうやって支えられているのか分からない馬鹿みたいに大きな頭にはぎょろりとした目玉が1つだけ着いている。黒目がちの瞳は底無しのように黒々と輝き、不気味さを助長させていた。

 端的に言って。これは魔物の一部分、これが1体でLv.7に匹敵する魔物ではないのではないかと考える。というか、こんな全体的に欠陥のある設計をされた魔物は大抵において差ほど強くは無い。
 魔物というのは人の形に近ければ近い程に強いものだ。極稀に巨大過ぎる体躯を持った、別のベクトルで強そうな魔物というのは存在するが目の前のコレには当て嵌まらないだろう。

「……贔屓目で見ても、死なない魔物には見えないな。アンデット系でも無いだろう。だが、そうであるからこそ、俺は今警戒している」
「サディアス、お前ってホント真面目だよな! 俺がブン殴って来ようか? ま、火は使わないって。室内だし」

 今まであらゆる魔物と相対してきた。その経験法則からして、Lv.6以上の魔物には何らかのニオイがある。それは強者の圧であったり、ふと気付くような賢人の資質だ。ただ、今目の前に居る魔物は無味無臭。周りに色が溢れる中、唯一色が無い何かのような、異様な気配を感じる。
 それら諸々の『勘』を総動員した結果、ギルを止めるべきだという結論に至ったがそれはほんの少しだけ遅かった。

「よっしゃあああ! 今日は仕事終わったら王都に寄って帰るぜ!!」

 獣人の腕力を活かして殴り掛かる。室内で火は焚かない、と宣言した通り普通に殴り掛かったのだ。素手で。
 骨が折れるような鈍い音と、魔物が吹き飛ばされて床を転がって行く形容し難い痛々しい音が響く。ボールのように跳ねて行ったそれは壁にぶつかってようやく止まった。あれ、とギルが首を傾げる。

「んー、何かアレだな! 生き物ってより、無機物を殴ったみたいだ!」
「無機物ぅ? まあ、確かに石みたよね。見た目は」
「あー! それだ! 何か、人間の死体でも殴った感じだ! 体温低いっていうか、体温が無い」

 ――体温が無い? 死体?
 激烈に嫌な予感がして、壁に叩き付けられたあの魔物を見やる。それはゆっくりと起き上がっている最中だった。特に傷がある様子は見受けられず、ぎょろぎょろとした目玉がただただこちらを見据えている。
 そこに殴られた怒り、悲しみ、恐怖などの感情は感じられない。何の感慨も無く、風景を見つめているだけのような無機質さだけがある。

 じゃれ合っている2人に声を掛けた。一筋縄ではいかない気がする。

「構えろ。起き上がって来るぞ」
「ギル、あんたあの鈍そうな奴に対して失敗した訳? 鈍臭いわねえ」
「えー、ただのヒューマンだったら首が180度回転してるくらいには思い切り殴ったけどなあ」

 メンバーのスイッチがいまいち切り替わらない。相手が弱そうなのでやる気が出ないのだろう。
 溜息を一つ吐いたサディアスは、怪我人が出る前にあの魔物が通常の魔物とは異なる事を証明すべく、背に負っていた鋼の板のような大剣を構えた。この狭い場所でこんな大きな武器を振り回せば壁に傷が付いて――

「……いや、どうやら俺にも緊張感が足りていないようだ」

 もう一度ぐったりと溜息を吐き出した。