1話 人を喰らう家

05.リビングのメモ


 満を持して屋敷の中に。ドアは施錠されておらず、簡単に開いた。これ幸いと中へ入る。何故だろう、湿った風が頬を撫でたような気がした。近くで生き物が溜息を吐き出したような、湿った風が。レアが目を眇めて感想を漏らした。

「……なんだ、中は綺麗じゃない!」
「そうだな。不自然な程だ」

 手入れの行き届いたフローリング、染み一つない壁。明らかに掃除をされているのだろう、隅に埃が溜まっている様子も無い。一応、2階へ上る為の階段が見えるが、まずは1階を探索してみるべきだろう。

「何かアレだな! 普通に家って感じだな!」
「そりゃ屋敷なんだからそうでしょ。というかギル、アンタ別の人間がいるかもしれないんだから、技能使っちゃ駄目よ!」

 技能――正式名称を特殊技能。全ての生物が20%前後の確率で生まれながらにして持っている特異な能力の事だ。例えば、レアならば魔法という手順を踏まず、この家を冷凍庫へ変えられるような冷凍にまつわる技能を持っている。
 ギルはその逆、ありとあらゆる物を燃やすような技能を持っているので室内で技能の使用は厳禁だ。

「分かってるって! つーか、誰もいねぇな!」
「人の気配も無いな。行方不明者が十数人いると聞いていたが、それはどこへ行ったのだろうか。固まっていて無事、と言うのならばその方が良いが」
「取り敢えず進んでみようぜ! 何か面白いもんねぇかなー!」

 スキップでも始めそうな調子のギルに続き、部屋の一つへ足を踏み入れる。どう見てもリビングだ。レアがばさばさと両腕を上下に振った。

「どうした?」
「んー、いや、神経質になってるのかもしれないけど、何か湿気多くない? アタシの羽毛がしんなりしてる気がするのよね」
「いや、湿度は高い。そんな気がする」

 羽毛の湿気とは何なのかと思ったが、さして重要な話題とも思えなかったので言の葉にはならなかった。

 リビングの状態は簡素だ。テーブルにソファ、リビングとして必要なものが最低限揃っている状態。どれもこれも、外から見た屋敷と比べて比較的新しい物が揃っているようだ。
 ふぅん、とレアが首を横に振る。

「見れば見る程、ただの屋敷ね。というか、人が住んでんじゃないの?」
「えー! じゃあ俺等、ふほー侵入じゃね!?」
「不法侵入か、成る程確かにそうなるな。しかし、ギルドの人員とプラスアルファが行方不明になっているのも事実だ。調べざるを得ないな」
「俺さ、サディアスのそういうクソ真面目なとこ、尊敬してるぜ! マジでリスペクト、的な!」
「そうか」

 ゆっくりと見回してみる。テーブルの上に、内装にはそぐわないメモの切れ端のようなものを発見した。人の痕跡を発見したのでそれを拾い上げてみる。

「――『屋敷内にいる魔物、いやあれは怪物か。アイツ等は倒せないから気を付けろ』、と書いてあるな。字が汚いが、まあ、そのへんが妥当だろう」

 ミミズがのたくったような字、とまではいかないが不安定な体勢で文字を書いているように歪んだ字だ。そして、これは何を使って書いたのだろうか。黒ではない色のインクが使われているようだ。黒色に何か別の色が混ざっているような色、としか形容出来ない。

「なぁに、それ」

 レアが覗き込んで来たが、意味分かんない、と一言だけ感想のようなものを漏らした。続いて横からメモを引ったくったギルが眉根を寄せる。そのまま、メモを鼻まで持って行って動物がそうするように匂いを嗅ぐ。
 へへっ、と謎の笑い声を漏らした彼は親指をグッと立てた。

「サディアス、これ血だ! これが噂の血文字ってやつだな!」
「流石はモデル犬の獣人。ニオイには敏感だな。しかし、血文字……血液か。この斜め下に書いてある文字は何を伝えたいのだろうか」

 場所的にはメモを書いた人物の名前なんかが書かれていそうだ。辛うじて読めるのは、スツルツの綴りくらいか。ギルドの人員が書いた物と見るべきだろう。

「その討伐隊とやらは全滅してそうね。その調子だと。後任に注意喚起してる遺書みたいなもんでしょ、内容的には」
「そうか……しかし、リビングに血痕は見られないな。怪我をしたからそれを文字に使用した訳では無く、ペンを持たなかった為にそうした、が正しいかもしれない」
「まさか! サディアス、アンタ本当に優しい奴よね! 何かマズイ事があったから、こうやって警告文を放置してたんでしょうよ!」
「いやだが、命からがら、このメモを遺したとして――流した血液はどこへ行った? それとも、血が一滴も流れないような死に方をしたと? 希望はまだある、だから家ごと燃やそうなどという馬鹿な真似はするな。氷付けもまだ無しだ」

 すでに屋敷の探索に飽き始めているレアにそう釘を刺す。奇跡狩りは『魔物を狩る為だけに存在する組織』というのは共通認識だが、善良な一般市民を巻き込むようなやり方は、およそ15年前に一度大問題になって以降忌避する傾向となっているらしい。
 つまり、こちらにその気が無かったにせよ、他者を巻き込むやり方は認められないのだ。