第1話

2-6


「ジェ、ラルドせんぱーい・・・?」

 ピタリと動きを止めた職場の先輩にそうっと声を掛けてみる。微動だにしない。ただならない空気を感じ取ったルシアが微かに息を呑む。ブレットは再び声を掛けようとして、しかし彼から発せられた笑い声に全ての行動をキャンセルした。

「うっくっくっく・・・良い度胸じゃねぇか・・・こっちは急いでるってのによぉ。つか、電柱?どっから降ってきやがったんだよ、電線繋ぐの大変なんだぞ畜生が・・・!」
「メッチャ怒ってる!?あばばば、お、落ち着いてくださいよ、先輩!」
「うるせぇぇぇ!焼け野原にしてやるぜぇぇぇ!!」

 電柱が振って来そうな方向へ今にも走り出しそうなジェラルドを慌てて取り押さえる。確かこの人、魔術師だったはずなのに力が非常に強い。気付けば体格差があるとは言え、ブレットの方が引き摺られている――
 が、そんな攻防も長くは続かなかった。
 ミシミシ、と嫌な音が鼓膜を叩く。それに気付いたのは比較的冷静なブレットと、遠巻きにことの成り行きを眺めていたルシアだけだった。頭に血が上ったジェラルドには届いていない。

「ちょ、先輩先輩!ホント、僕の話聞いてください!地面から!変な音してますから、暴れないで――」
「受け身!ブレット先輩、受け身を取りましょう!」
「嘘、マジでこれ床――じゃねぇ、地面抜けんの!?どんな欠陥工事してんだよ!!」

 思わず絶叫したその直後だった。ルシアの叫び通り、地面が抜けた。いや違う、正しくは『崩れた』、だ。4区の手抜き工事問題、もっとちゃんと検討しておけばよかった。
 視界が真っ逆さまになる中、様々な後悔が渦巻く。
 みんなで食べるようにと買って来たケーキが何故か一つ残らず無くなっておりムカついた先週の事件、魔界語しか喋れないと筆談で告げてくるウェアウルフ事件に何故か公費でたこ焼き器を買って来た馬鹿に文句を言うのも忘れていた気がする――

「ぎゃふっ!?」

 しかし、走馬燈はすぐに遮られる事となる。案外すぐ近くに地面があったので、背中を強かに打ち付けたのみで済んだからだ。とりあえず、たこ焼き器は公費で落とせない事を何としてでもあの狼野郎に告げなければならないので、まだ死ねない。

「お前、着地へったくそだな。なあ、ルシア」
「はい。私はちゃんと事前に受け身を取るよう言ってたんですけどね」

 ハッと我に返れば渋い顔をした新人と、馬鹿にしたような笑みを浮かべる先輩の顔が視界に入った。何だかこの人等、視界に入っただけでそこはかとなくムカつくのだが。

「どこまで落下したんでしょう・・・ね・・・!?」
「・・・お?」

 現在位置を確かめる為に何とはなしに足下を確認した瞬間だった。かなり埃を被ってはいるが、白いチョークのようなもので幾何学模様か何かのようにうねうねとした何かが床に書かれている事に気付いた。
 慌ててしゃがみ込み、床の埃を手で払う。
 降ってきた瓦礫なんかで所々消えてはいるが、これは召喚術に用いられる術式ではないだろうか。ジェラルドを見上げる。

「・・・信じ難い話だが、どうやら丁度、捕縛対象の部屋に落ちたみてぇだな」
「奇跡的過ぎますって、それ・・・」

 まるでそんな都合の良い話を肯定するかのようなタイミングで。張れてきた粉塵の隙間から複数人の人影を発見。これまたまるで自らをそうであると肯定するように、人影は叫んだ。

「お前達、サツだな!?畜生、もう嗅ぎ付けてきやがったか!」
「チッ、やっぱり召喚術は無茶があったか・・・!」

 ――ごめん、全部ほぼ奇跡的な偶然。
 戦々恐々としているどこぞの召喚師達を前に、ブレットは心中で合掌した。まさかこんな馬鹿みたいな流れで自分達に見つかるとは彼等も思っていなかっただろうし。