5話 アルケミストの長い1日

07.アロイスの仮説


 しかし、この酔っ払い、実害度合いで言うと先程の山賊よりまだずっとマシだった。

「なあ、お嬢ちゃんよぉ〜。俺の酒どこ行ったかしらねぇか? ずーっと探してんだよぉ! ずーっとさあ!」

 管を巻いてくるが、絶対に手は出して来ないからだ。酔っ払っているとはいえ一応、常識破りな行動に出るつもりはないのか、付かず離れずの距離をキープしている。
 ただ現状においては逆効果だった。
 いっそ、掴み掛かってくれれば正当防衛の元、この迷惑千万な酔っ払いを実力行使で追い払える状況になるからだ。ここで変に遠慮をされると、かえってやり返す事が出来ない。何せ、まだ何もされてはいないのだから。

 店側も、あまり見ないタイプの客にオロオロと手をこまねいて見ているだけ。良いから自警団か何かに通報してくれと切実にそう思う。
 仕方ないのでアロイスに助けを求めようと視線を移す。考えていた騎士は、ややあって大きく頷いた。すくっと席から立ち上がる。

「あぁん? んだよ、てめぇはよ――」
「すまない。これ以上は流石に店にも邪魔になる」

 そう言うと同時、左手で首の後ろあたりをとんっ、と叩いた。力など入っていないように見えたが、酔っ払いの身体がぐらりと傾き、床に崩れ落ちる。何て力だ。

「メヴィ、彼を外に出してくる」
「あ、はい」

 首根っこを掴み、荷物でも運搬するかのように酔っ払いを引き摺ってアロイスが店から出て行くのを呆然と見送る。そんな彼はすぐに戻って来た。文字通り、酔っ払いを外に出して来たのだろう。追い剥ぎに遭おうが知ったこっちゃないが、なかなかに容赦が無い。

「今日は騒々しい1日だったな、メヴィ」
「はい……。怪我ばっかりしましたよ、今日は。身体を休めようと思ったら今度は酔っ払いに絡まれるし」
「そうか。今日はそういう日、という事か……」

 半ば独り言のように呟いたアロイスは目を眇め、真剣な面持ちだ。怜悧で美しい視線に、思わず身体が硬直する。

「――お待たせ致しました。こちら、ビーフシチューと野菜スープでございます」
「あっ、え、はい。どうも」

 その様に見惚れていると、ウェイトレスが頼んだ料理を運んで来た。更には酔っ払いの件で例まで言われた挙げ句、サラダがおまけで付いてくるという幸運。
 今日は運の悪い1日で終わると思っていたが、思わぬところでラッキーが――

「あっ!? 冷たっ! これ、冷製スープ……ですか?」
「え? いえ、こちらは野菜スープですので冷えているという事は……あ、確かにかなり冷たいですね」
「えっ、あ、これ、どうしましょうか」
「すぐに取り替えて参ります」

 何故か手違いで冷静スープ風になっていたらしい。慌てたウェイトレスが持って来たばかりの野菜スープを持って、キッチンへと駆けて行く。
 その様子を見て、今まさに食事を始めようとしていたアロイスもその手を止めた。

「あ、先に食べてて良いですよ。アロイスさん」
「いやいい、俺だけ先に食べているのも気になるだろう」

 人間誰しも間違いはある。例えばさっきのスープ事件のような。
 だが、何も精神的にくたくたの今日でなくとも良くないだろうか。もっと、心にゆとりがある時にやらかして欲しいものだ。

 ぶつけようのないモヤモヤとした感情を、肺に溜まった空気と共に吐き出す。
 そんな様を見ていた騎士サマが、割と真面目な声で言う。

「メヴィ、食事を終えたらフィリップ殿の所へ行こう」
「え、今日ですか? いやでも、私こんな調子ですよ。何があるか分からないと思いますけど……」

 例えばあの山道で山賊に襲われたり、いっそフィリップが館にいなかったり。想像するだに恐ろしい。

「お前の運の悪さは度を超している。魔法による呪いの類いの可能性がある以上、このまま帰って眠っても効果は無いかもしれない。フィリップ殿であれば、呪いの類いを解呪する方法を知っている可能性がある」
「それも……そうですね。分かりました、ご飯を食べたらフィリップさんの所へ行ってみます」

 日は暮れかけている。夕食を食べ終える頃には完全に日は落ち、夜のとばりが降りる事だろう。であれば、フィリップもまた活動時間に入っているはずだ。
 正直、アロイスに呪いがどうのと言われてしまえばそうである気がしてならなくなってきた。明らかに運が悪すぎるし、何より今日触ったマジック・アイテム。あの指輪に何らかの魔法が残っていたという仮説も成り立つ。

 山を登る体力を得る為にも、メイヴィスは再度運ばれてきたスープに口を付けた。体力を回復しなければ。