13.ようこそ
開いた口の中に何かが転がり込んで来た。丸くて、ひんやりしていて――そして、どことなく甘い粒のような『何か』が。
それはまるで形が無いようだった。口の中に入った途端、味わう前に溶けて消えてしまうような不明瞭さ。味わおうとしているのに、その先から消えてしまったそれは口内に異物感だけを残して跡形も無くなってしまった。
「――ぐっ、う……!?」
困惑していると、唐突にエジェリーの冷たい手が離れていった。小さく咳き込みながらも、現況を睨み付ける。彼女はまるで透明な水のように、表情らしい表情の無い顔をしていた。
こちらの問いが言の葉になるより先に、彼女の態度が急変する。うっそりと、夢物語でも思い浮かべるような、静かな興奮を孕んだ表情。
それがあんまりにも不気味だった為に、メイヴィスはただただ息を呑んだ。同時に理解する。彼女は、目の前の人魚は――圧倒的に人間とは違う生物であるのだと。
聞きもしないのに、エジェリーが言葉を紡ぐ。
「私は……貴方とまた、出会いたいと思っているわ」
「わ、私は遠慮したいんですけど……。というか、何を飲ませたんですか! 私に!!」
「いつでも、好きな時に。貴方と」
言いながら再びエジェリーが詰め寄ってくる。その姿に学習と本能的な恐怖から、後退る。しかし、後ろ足が無情にも壁に激突した。
目と鼻の先。
互いの息が掛かる程にまで接近した人魚は、満足げに目を細めると種明かしをするかのように密やかに言った。
「ようこそ――」
***
結果的に言ってしまえば。あれだけしつこく自分達を追いかけて来た人魚村の住人達は村から出た瞬間、追うのを諦めた。恐らく、人魚ゾンビという存在が外界では受け入れられない事を重々承知していたのだろう。
体力的にはピンピンしていたアロイスと共に村を抜ける頃には、僅かに朝日が顔を覗かせているような時間帯だった。
随分と時間が経った事を意識しながら、メイヴィスはゆっくりと思考を巡らせる。結局彼女――エジェリーは、何をどうしたかったのだろうか。あの後、自分を置いてけぼりでさっさと水の中へ消えて行った彼女の心中はまるで推し量れない。端的に言って意味不明だ。
ポケットの中には、エジェリーに持たされた真珠に似た何かが2粒、お行儀よく入っている。返す暇も無かったし、何となくこれをその辺に放置していてはいけない気がした。
「メヴィ、考え事か?」
アロイスの声で我に返る。隣を見ると、少しばかり疲れた顔をした騎士サマがにこやかな笑みを浮かべていた。先程までゾンビと言う名の村人をバッサバッサと薙ぎ倒していた人物とは到底思えない。
ともあれ、アロイスの問いに答えるべく思考を巡らせる。エジェリーの事をいっそ相談してしまおうと思ったが、何故だか気が進まなかった。
彼が必死で解放してやろうとした人魚が、まさか変な行動を取ってそのまま水中へ消えて行ったなどと伝えられるはずがない。それに――それに、ある種の防衛本能が邪魔をする。
どうしてだか、あの洞窟であった事は他言しない方が良いような気がしてならない。飲まされた粒は確かに毒物ではないようだが、そうであるならばアレが何だったのかまるで説明が付かない。
咄嗟に口を噤んだメイヴィスは、寸前まで考えていた事とは全く別の件を口にした。それは無意識の防衛本能に他ならない。
「ああいえ、あの、エジェリーさんから。お土産を貰ったので……。これ」
「真珠か? それ以上に見事な輝きだな」
一応はその一粒を受け取ったアロイスは昇りかけている太陽にそれを翳してみたりと、それなりに楽しげな反応を見せた。
「メヴィ、お前は要らないのか、このアイテムは」
「要らないというか、私はもう一粒持ってますから。アロイスさんにも、との事だったので」
「そうか。俺は見ての通り、無骨な男だからな。真珠など貰っても使い道は無いが……折角だ。記念に一つ取っておこう」
朗らかに微笑んだアロイスはそれを無造作に自身のポケットの中へしまった。
それを尻目に、再びメイヴィスは思考の海に身を投じる。
あの時、最後にエジェリーが言った言葉。
――「ようこそ、永遠の世界へ」。
思い出す度に恐ろしい妄想が止まらなくなる。そんなはずはない、きっと。首を振ったメイヴィスは自らの思考を否定するかのように、ぽつりと呟いた。
「まさか、ね」