09.魔女の甘言
一番倒され辛そうな大猿が倒されたせいか、小さな雪猿達にも動揺が広がる。
「逃がさないわ、ナターリア!」
「えっ、あたし!?」
ウィルドレディアに全くもって唐突な丸投げを喰らったナターリアだったが、流石の瞬発力。言わんとする事を理解するや否や、素早く身を翻して逃走した雪猿の追跡を開始する。
狩猟をする動物がベースなだけあって、彼女の追い込み猟は完璧だった。すぐに逃げ出した雪猿の正面に回り込み、退路を塞いだ上で低い姿勢から拳を繰り出す。
「す、スプラッタ……!!」
「これでクエストは終了か。メヴィ、散らばった雪玉を集めるのを手伝おう」
「あ、アロイスさん! いや、風邪引きますよそれ!」
返り血塗れのアロイスを気遣って、というか控え目に言って恐ろしい見た目になっているので遠回しにそう言った。しかし、アロイスは猟奇的外見とは裏腹に穏やかな笑みを浮かべる。不覚にも胸が高鳴った。トキメキとドン引き、二重の意味で。
「大丈夫だ。この暗がりでお前にだけ素材の収拾をさせるのは効率が悪い」
「ありがとうございます……」
もうこれは、早く雪玉を拾い集めて撤退した方が早い。そう思ったメイヴィスは雪の中に視線を落とした。例の雪玉はかなり見え辛い。明かりは必須だろう。
照らしながら、ウィルドレディアが炎を撒き散らした辺りを探ってみる。あの灼熱地獄では雪玉なんて跡形もなく溶けているに違い無いと思ったが、雪玉の『雪』の部分は溶けて水となっているだけで玉自体は回収可能だった。
溶けて水になった雪玉は、透明なカプセルの中でちゃぷんと揺れている。装飾品に持ってこいの見た目だ。これで冬用の杖とか造ったら馬鹿売れするかもしれない。スノードーム杖、みたいな。夏は水になって涼しげだぞ!
――うん、女の子には売れそう。あとは杖として使える性能をプラスすれば億万長者になれるかもしれない。
しかし、素材の手に入り辛さから相当な高値に――
「メヴィ? いつまでぼうっとしているのかしら。今日は村に泊めて貰って、明日、ギルドへ帰るそうよ」
「了解です。ふっふっふ、雪玉の杖! なんて商品を造ろうかと思いまして」
「あら。人気になりそうじゃない。さっきの雪玉で造るのかしら?」
「21万アピくらいで売ります!」
「……趣味用の杖にしては高すぎるわね。貴方、営業について学んだ方が良いんじゃない?」
***
翌日、村に泊まってギルドへ辿り着いたのは午後過ぎだった。1日の半分を移動に使ったと思うとどっと疲れが湧き上がってくる。
なお、ギルドマスターへの報告はアロイスが請け負った。自分が受けたクエストだから、だそうだ。
「はあ……」
そんなアロイスの事を頭の隅で考えながらメイヴィスは盛大な溜息を吐く。忙しくて真面目に考える暇など無かったが、本当に自分みたいなのが大陸を出て過ごせるのだろうか。今更感が凄いが、唐突に湧き上がる謎のホームシックな気分。なお、まだギルドすら出ていない。
目の前では見知ったギルドのメンバーが談笑しながら通り過ぎて行く。
そうか、ここを出て行くのか、と余計に変な不安が膨れ上がった。
「迷っているのね、メヴィ」
「……ドレディさん!? え、てっきりもう帰宅したのかと」
「私を何だと思っているの? これ、貴方に渡しておこうかと思って」
妖艶に微笑んだ魔女は、その手に大量の紙片を持っていた。すぐに合点がいく。昨日言っていた術式のメモだ。
「わあ、ありがとうございます!」
「いいのよ。左上に効果を書いておいたから、それを参考にして頂戴。……それで? 何をそんなに不安がっているのかしら?」
「え? ああいや……。ぶっちゃけ、私みたいなのが外に出て生きていけるのかについて考えてました」
「アロイスも一緒でしょう。あの化け物騎士がいるのならサバイバル生活を送る事になったって平気よ、多分ね」
「いや、そういう極端な話じゃないですから!!」
アロイスがいれば、確かにまともな生活は送れるだろう。彼は自分よりずっと多くの事を知っている。小娘の面倒くらい涼しげな顔で見てくれるという確信さえ持てるはずだ。
ただ、それは自分の力で生きていると言えるのだろうか。錬金術だけこなせたところで、自らの力で生きていく事が出来なければ、それは人としてどうなのだろうか。
こちらの切実な疑問に対して、やはり魔女は嗤うだけだった。
「いいじゃない、負んぶに抱っこでも。貴方、60年後には知らない者などいないような偉人になっているわ。世界に貢献する人物なのよ。多少なりとも人に迷惑を掛けたって構わないわ、それ以上の貢献を返す力を持っているのだから」
「何ですかその暴論。というか、また予知とかいう力の類ですか?」
「誰に気兼ねすること無く、錬金術の研究を続けなさいと言っているのよ。最初は何もかも出来なくたって良いの。結果は後から付いてくる。貴方が四苦八苦してこなしたありとあらゆる事象は、そのうち貴方の助けになるはずよ」
あとね、とウィルドレディアはイタズラっぽく嗤った。彼女にはまるでそぐわない、子供っぽい笑みだ。
「私は予知能力者と言うより、未来からの観光者、なのよ」
「はいはい。好きですよね、そういうの」
「いつかタイムマシーンでも造って、私を元の時代に還して頂戴ね?」
「まさか本気だとは思いませんけど、そういう研究も面白そうですよね」
何となくやる気が戻って来た。あまりにもウィルドレディアが自信満々に自分の事を推してくるので、何だか出来るような気がしてきたからだろう。
このやる気が燃え尽きないうちに、ローブが完成したらまずは荷物を詰めよう。