3話 鍛冶師と錬金術師とミスリル

08.錬金術


 底の見えない群青色の液体の中に、植物の根が沈んでいく。更に戸棚から緑色の液体を取り出した。素材液に命令を与える為の液体なのだが、この指示液を作るのには3日、釜で煮込み続けねばならずなかなかに手間の掛かる一品だ。なお、この指示液、術師毎に異なる製法を以て作るものなので人前での作成は禁じられている。
 メイヴィスはその製法を師匠から学んだ。当然、自分が弟子を抱える日まで他言は無用である。

 そんな貴重品を惜しげ無く全て投入。ヘラが絡みつく液体達のせいでかなり重たくなったので、全身を使ってゆっくりと混ぜ込んでいく。

「俺には何が何だか分からないが、手伝おうか?」
「い、いえ……。大丈夫、です。ちょっと色々詰め込みすぎただけで」
「毎回こんなに大変そうに作るのか?」
「目分量に失敗して、量が増えただけですから……」

 混ぜていた液体から伝わる感触が変わる。慌てて大きな網を持って来て、それらを掬い上げた。若干湿ってはいるものの、少し茶色っぽい紙が完成している。

「ほう。そんなに短時間で紙を作れるのであれば、人の手で一から作るより錬金術に頼った方が早いかもしれないな」
「そうですけれど……材料費が馬鹿にならないのと、所詮、ちゃんとした材料から作った紙じゃないですからね。強度はその手のプロが作った方が上だと思います。こんなざら紙で重要な書類は作れないでしょうし……」
「メリットデメリット、世の中はそんなものだな」
「はあ……」

 紙を用意したメイヴィスは部屋の右隅にある例の機械に紙束をねじ込んだ。魔力回路をオンにし、少し待つと機械から先程作った紙が吐き出される。焦げたような痕と共にしっかりと大本の術式が紙へと転写されていた。

「出来ました!」
「確かに。紙に写されているな。便利な事だ」
「魔法は人の生活を豊かにする為にありますから!」

 途切れることなく綺麗に写されている紙を1枚だけ取って、残りは戸棚の中に仕舞う。オリジナルの1枚目もちゃんと回収した。

 色々遠回りしてしまったが、ようやく本題に入れる。メイヴィスは革と術式を同時に釜へ入れ、更に灰色の指示液を足した。最初から成功するとは思えないが、成功した場合には形を整えて女性用のローブに転用しよう。

 この後の事を考えながら、ヘラで中身をかき混ぜる。不意に、何かが焼け焦げるような嫌な臭いが鼻を突いた。言い知れない嫌な予感が背筋を駆け抜ける。それと同時に形容し難い色の煙が釜から一筋だけふわりと溢れた。

「あ!? あぶな……っ!!」

 身の危険を感じ、その場に伏せる。次の瞬間、ボンッという重々しい破裂音と共によく分からない色の煙が天井へと上っていく。跳ねた素材液が手の甲に付着した。滅茶苦茶熱い。

「無事か、メヴィ!?」

 遠目にそれを見ていたアロイスが慌てたようにそう訊ねた。情けない気持ちと、恥ずかしい気持ちを同時に抱きながらも「大丈夫です……」、と力無い返事をする。
 まるでその手の道の初心者みたいな失敗をした事に、顔へ熱が集まっていくのを感じた。何だ今のミスは。錬金術に触れて半年も経っていないビギナーがやらかしそうな失敗だ。恥ずかしいを通り越して虚しい気持ちまで湧き上がってくる。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、アロイスがさらに訊ねる。

「今、いきなり爆発したように見えたがいつもこうなのか?」
「いや……、その、いつもはもっと静かです。ああ、何でこんな失敗を……」

 多少なりとも落ち込みながら、これ以上の被害が出る前にとヘラで内容物を掬い上げる。術式の紙は液で溶けてしまったのか見つからなかったが、ぼろぼろの革は見つかった。

「――ん? という事は、錬金術そのものは成功してるって事……?」

 僅かな希望の光。それに縋り付くかのように、メイヴィスはそっと掬い上げた革に触れた。しかし、それは触れた瞬間、まるで時間経過によって劣化したかの如く崩れてゴミになってしまう。

 考えられる事は2つ。単純に成功したように見えて、実は錬金術が失敗していた。もう1つは、俄には考えられないが――術式に対し、革の強度が足りなかった。今まで起きた事は無いが、この術式を描いたのはギルドの魔女と名高い彼女だ。この小さな術式の中に、ありとあらゆる法則がねじ込まれ、実は膨大な情報量となっているのかもしれない。
 要検証、そうとしか言えない事がもどかしいが、まさか初心者のような失敗を今更するとも思えない。やはり、問題は素材の方にある――

「メヴィ?」
「うわっ!? あ、ああ、すいません、ボーッとしてて……。素材を変えて、また、チャレンジしてみます……」
「それはいいが、火事には気をつけろ」

 労るような声音ではあったものの、錬金術師と豪語しておいてこの程度か、と思われているかもしれない。何であんな派手な失敗したかな、メイヴィスは落ち込んだような深い溜息を吐き出した。