3話 鍛冶師と錬金術師とミスリル

01.鍛冶師見習のシノ


 ムッとした熱気が頬を撫でる。室内だというのに外にいるようなざらっとした地面の感触と薄暗い部屋に灯る煌々とした炎の明かり。硬い物を叩くような鎚の音が高らかに響いている。ここは、そう――小さな鍛冶場だ。
 もう秋に突入し、冬も間近だというのにも関わらず首筋を伝う汗を持っていたタオルで拭ったメイヴィスは部屋の主へと挨拶した。

「おはようございます、エルトンさん」

 鎚の音が止まり、部屋の端にいた鍛冶師であるエルトン・ホーバーがこちらを向く。
 彼は牛の獣人で、立派な一対の角が頭から生えている。口ひげに顎髭、橙色の短髪の彼は50代後半のおじいさんだ。鉄面皮とギルド内でも恐れられているだけあって、その表情だけ見ても何を考えているのかは到底分かりそうになかった。

「どうした」

 短い問い。別に彼は怒っている訳でも、自分の事を邪魔だと思っている訳でも無い。これは彼の素。それに気付いたのは、去年の夏頃だったはずだ。

「シノさんに呼ばれて来たんですけど、本人、いませんね」
「さっき出て行った」
「そうですか……」

 待っているべきだろうか。しかし、ここで突っ立っていてはエルトンの邪魔になりかねない。ベクトルが違うとはいえ、『物を造る』という共通点を抱えている者同士だ。何が邪魔で、何が邪魔でないかは考えずとも分かる。
 仕方ない、一度出直してロビーで待っていよう。メイヴィスが踵を返そうと足に力を込めたその瞬間、何とも間が悪い事にエルトンその人が口を開いた。

「大口の依頼が入ったそうだな」
「あっ、そうなんですよ。何か綺麗な男の人が依頼人でしたよ。マスターが敬語使ってるところなんて、初めて見たし」
「そうか。程々にやれよ」
「はーい」

 エルトンとその弟子、シノとは何度か共同作品を仕上げた仲である。そのせいか、弟子でもない自分の事を気に掛けてくれる鍛冶師には感謝してもし足りないくらいだ。
 意外にも好評で、飛ぶように売れた魔法武器の数々に想いを馳せていると、凛とした女性の声が背後から呼び掛けてきた。それと同時に、チリンという鈴の音。

「何だよ、もう来てたのか。メヴィ」
「あ、シノさん。おはようございます」

 シノ・ハギワラ――彼女はエルトンの弟子であり、鍛冶師の見習である。肩口までの艶やかな短髪に、切れ長の瞳。どこか妖艶な空気を漂わせながらも、同時にカラッとした陽気を持ち合わせている。ギルドでも一二を争う絶世の美女である彼女だが、活動拠点はギルドの地下であるここなので、滅多に上へ来る事は無い。

 そんな彼女は、鍛冶場の奥深くにいる師へと先に用件を話した。

「師匠、私は今からメヴィとクエストに行って参ります。帰りに何か買う物とかありますか?」
「無い。気をつけて行って来い」
「了解」

 もう一度、鍛冶場を一瞥したシノは階段を指さした。

「ロビーで話そうか。ここはほら、ちょっと暑いだろ」
「確かにそうは思いますけど、シノさんが言っちゃ駄目なんじゃ……」

 自身の失言を笑って受け流したシノは足早に地下から地上へ上る為の階段へと向かって行く。置いて行かれては堪らないと、メイヴィスは慌ててその後を追い掛けた。

 ロビーはいつも通り、クエストへ行く者、帰って来た者でごった返している。地下の職人達の空間とは一線を画する空気に、少しだけ安堵の溜息が漏れた。本当に、うちのギルドは地下だけ別世界だ。
 手近なテーブルを確保し、セルフサービスの水を紙コップに注いだところでシノが用件を切り出した。

「聞いていたとは思うけど、今からクエストに行くぞ。メヴィ」
「吃驚する程急ですね……。それはいいんですけど、何か良いクエストでもあったんですか?」
「当然そうさ。見ろよ、これ」

 にんまりと笑みを浮かべるシノから依頼書を押し付けられる。
 ――『ミスリル採掘場の魔物討伐依頼』。ちなみに、報酬はミスリル5sだ。何て破格なクエスト。
 それに何より――

「ミスリル、欲しいですよね」
「そうだろ? 鎚で叩いても砕けず、錬金術でも溶かせない鉱石――当然、少しの無理をしてでも、このクエストには受ける価値がある。お前とミスリルを分かち合う為に、昨日から確保してたんだぞ」
「ミスリルの加工技術なんて開発したら、私達一生それで食っていけますね」
「こう、割とシビアな観点でものを語るよな、お前。ま、当然行くだろ」

 勿論行きます、とそう言いたかったが寸前で言葉を呑み込んだ。
 今日、実は一緒にクエストに行くと約束した人物がいる。何を隠そう、アロイスだ。昨日の内から「どうだろう、明日は俺がクエストに同行すると言うのは」、と何度も声を掛けられている。大変恐れ多い事にだ。

「あーっと、あの、今日はクエストの先約がいて……アロイスさんも、一緒に連れて行っていいですか?」
「そりゃいいけど、そのアロイスさんはあれだろ。あの元騎士だろ。ミスリルなんか要らないんじゃね?」
「いやその、私に大口の依頼が入った事を喜んでくれていてですね。すごく面倒を見てくれるんですよ。まあ、それとは関係無く、私如きがアロイスさんの予定をドタキャンなんて恐れ多くて出来ませんけど」
「お前にとってアロイスさんとやらは何者なんだ……まあ、一応声を掛けてみろよ。ミスリルなんざ、そうそう手に入らないぞ。アロイスさんと錬金術の研究をちゃんと秤に掛けて考えろ。チャンスを棒に振る事になる」

 分かりました、と項垂れながらもメイヴィスは頷いた。何だかアロイスに対して申し訳無い事になってしまい、気が滅入る。確かにシノの言う通り、彼は鉱物に興味などないだろう。