11.

 どうして宇都野古伯が怒り、黙って佇んでいるのか。走り去った男子生徒はどこへ消えたのか。それら一切については分からないが、それでも好戦的に嗤うルシフェルを見れば所謂『犯人』はその隣人で間違い無いようだった。
 霊界事情は知らないのでこの場合何と発言すればいいのかいまいち思い浮かばないが、それでも緊迫した空気だという事だけは肌で感じる。

「えぇっと・・・それで、どういうことなの?意味が、分からないっていうか・・・先輩と宇都野って面識あったっけ?」

 目上の人間――否、人外に敬称を付けるべきか迷ったものの、彼には色々不快な思いをさせられているので敬うのを止める。礼儀に煩い古伯は眉根を寄せたものの、それに対して何か言う事は無かった。そういう状況ではなかったのだから仕方ない。
 視線だけこちらを向いた堕天使が肩を竦めた。相変わらず人を小馬鹿にしたような笑みは消える事が無い。

「つまり、そういう事だ。宇都野古伯は――俺の見立てだと、霊狐ってところだろうな。或いは天狐かもしれないが」
「人外だって事は知ってたよ。だって、あんたがそう言ってたんだから」
「あぁ。そうだな、俺が昔居た場所には霊狐なんていなかったが・・・《憑き物》の典型例だよな」

 ――まぁ本来は、高位妖怪の類である天狐・霊狐が人に憑く事などほとんどあり得ないが。
 そう付け加えたルシフェルは先程までの表情を一変させ、冷え切った瞳でこちらを無言で睨み付ける古伯をひたと見据えた。

「人間が通う学校なんかに何の用事があったのかは俺の知るところじゃないが・・・高位であったが故に、次から次に取り憑き、思惑があったにせよ無かったにせよ事態を引っかき回してくれたようだ。あぁだが・・・犯人の目星は付いていたけどね」
「次から次に?」
「探し物でもしていたんだろう」
「でも、首藤先輩が狙われた訳は?」

 それも単純だ、とルシフェルは首を振る。

「運が悪かった」
「運?でも、運で高位妖怪に狙われる人間なんているのかな?霊媒体質って訳でも無さそうなのに」
「あいつは気付きやすかった、それだけだ。俺の声に気付いた事で確信した。本人が意図しないうちに、そいつにうっかり関わり、執拗につけ回されてたんだろう」

 ――そして。
 そしてそれに、宇都野古伯は気付かなかった。無意識の干渉を故意に干渉されたのだと勘違いした。だからこそ、運が悪かった。
 誰が悪いというわけでなく、なるべくしてそうなり、偶然の中の必然に翻弄された結果だっただけ。

「そうだろう、狐」

 同意を求める堕天使を睨み付けた霊狐は荒々しく舌打ちした。激昂しているが、無闇に飛び掛かって来ないのは彼の冷静さかルシフェルの威圧感故か。
 何よりも雄弁な無言という肯定を語り、しかし古伯は問い掛けの答えとは別の言葉を言の葉として吐き出した。

「貴様等も私の邪魔をするのか」
「そんなつもりは無い、と言いたいところだが・・・獣風情に嘗められるのも癪に障るな」

 ふふん、と鼻で嗤うルシフェルを獣のように細くなった瞳孔で見る古伯。人外同士が生み出す何とも言えない空気に息が上手く出来なくなる――

「最期に一つだけ訊くが――止めるつもりは、無いんだな?」

 ふん、と今度は古伯が嗤った。愚問だと言わんばかりに。

「私は、目的を達成するまで、止めるつもりも投げ出すつもりも、無い」

 静かに宣言された言葉には確かに力があった。悪戯なんてとんでもない。何らかの宿命を背負っているんじゃないのかと錯覚する程に。