03.

 午後6時半。夏なのでまだ日は高いものの、そろそろ寮の門限だ。7時までに帰らなければ寮長から厳しいお叱りを受ける事になる。そんな夕暮れ空を見上げ、有真は意味も無く笑った。
 隣を歩く裟楠が怪訝そうな顔をする。

「何だ貴様、いきなり笑い出して」
「おいおい、そんな露出狂を見る様な目で俺を見ないでくれよ」
「ふん。ならば、その奇行を止めることだな」

 半眼でそう言われ、肩を竦める。しかし、確かに一人で笑い出したのは気味が悪かったかもしれない。
 ――と、不意に前方から男が歩いて来た。
 マンションの住人である事は明らかだが、問題はそこではない。
 黒く艶やかな長髪に整った目鼻立ち、不思議な色をした瞳。男だと分かっているがその色香とも言うカリスマ性は離れていても伝わる。何とも不思議な人物だなぁ、と首を傾げているうちに、さらに男は近づいて来ていた。
 そして――すれ違う。

「こんにちは」

 少しでも六花の印象を良くしよう、そう思い挨拶をする。「最近の高校生は――」などと言う大人が多いが、それは偏見だ。真面目な奴は真面目なのである。
 すると男もまたやや微笑んで挨拶を返す。特に不自然さも無い、普通の近所風景だった。

「おい、裟楠。お前愛想悪いぞ。挨拶ぐらいしたらどうだ?」
「はぁ?」

 少し咎めるように隣を歩く友人へそう声を掛ければずっと仏頂面をしていた彼の眉間の皺は余計に深くなった。不機嫌な証拠だ。
 それにしても、彼は挨拶も出来ないような人間だっただろうか。愛想悪いとは言え、礼儀と節度と常識は兼ね備えている奴だったように思うのだが――
 ふん、と有真を鼻で嗤った裟楠は嘲るように言った。

「あれは人外だぞ。不用意に声を掛けるのは止める事だな。面倒事に巻き込まれたいのならば話は別だが」
「え・・・?」

 ――ちょっと待て。
 そこでふと思い出した。あの男が歩いて行った先にあるのは六花の部屋とその両隣人の部屋だけだ。そして、裟楠は彼の事を人外だと言う。
 一瞬、彼が間違っているのではないかとも思ったがそれは無いだろう。真柴裟楠の審美眼とも呼べるその眼は《それ》と人を間違えることなど無い。それは、つまり――

「なぁ、裟楠よ。この先の部屋――」
「・・・あぁ、そういえば」
「片方の隣人は男で、無愛想な奴だと六花は言っていたよな?挨拶しても、無視される、と」
「言っていたな」
「もう片方の隣は外国美人じゃなかったか?」
「そうだな」
「――じゃあ、さっきの男は・・・?」

 足を止め、振り返ろうとすると裟楠から止められた。小さな小さな声で。

「止まるな、不自然な動きをするな。奴はまだこっちを見ている」
「え・・・」

 背筋に嫌な悪寒を覚え、有真は無言で首を縦に振った。こういう場合の裟楠の落ち着き具合にはたまに感心する。
 ――まあ、例の男については、六花に明日訊いてみればいいだろう。