10.

 翌朝、引っ越す前の癖で早起きした六花は朝から優雅な時間を過ごしていた。
 何と言っても学校まで徒歩15分程度。まだまだ時間に余裕はあったし、靴を履いて玄関から出た後もいつもの慌ただしさとは違い、ゆっくりと登校。
 まさに望んだ生活というか、朝のハードさがさがった分朝からの疲れも無くなって爽快な気分である。
 ――が、その爽やかな気分も部屋から一歩出た刹那に粉砕されることとなる。

「――あ」

 視線の先。無表情で中性的な顔立ちの男。
 ――人外、宇都野古伯だ。出て行く六花とは裏腹に、彼は今部屋へ帰る途中らしい。つまり向かい合って立っている事になる。当然、古伯も六花の存在に気付き、あからさまに渋い顔をした。
 が、近所付き合いの大切さをよく知っている六花は目を在らぬ方向へ泳がせながらも軽く会釈し、言った。

「おはようございます」

 ――と。
 そんな微笑ましい彼女の努力を無視し、さっさと歩き去る古伯。予想してはいたが、これはこれで中々に腹が立つ扱いである。
 しかし朝から罵詈雑言を浴びせられるより幾分かマシだ、と言い聞かせ再び前を向く。土日休みだったので久しぶりの登校となる学校の事を考えれば、隣人との諍いなど些事だ、些事。

「おい、待て小娘」
「・・・何でしょう?」

 背中に声を掛けられ、振り返る。すると何かを思い出したような顔をした古伯が鋭い眼光でこちらを見ていた。

「というか、小娘じゃないです、六花です」
「どうでもよい。それより、貴様に伝言があったのを忘れていた」
「伝言?誰から・・・?」

 ルシフェルかもしれない、と思ったが彼は朝から自室を満喫して楽しそうにしていたから違うだろう。隣人のアイリスかとも思ったが、それならば彼に伝えるよりそのまま六花の方へ伝えるだろう。
 ならば――自ずと解答は限られてくる。

「管理人からの伝言だ。一度しか言わぬ、よく聞け」
「はぁ・・・」
「書類に貴様が独り暮らしをしているのか、二人暮らしなのか書きあぐねている。早急に答えを寄越せ、とのことだ」
「知るか!ってか人使うなよッ!」

 何やってるんだ神代戌亥!何で書類の有無を隣人に確認させるのか。彼はこのマンションに住んでいるワケでは無さそうなので、遠いのが癪に障ったのだろうか。何にせよ、予想以上にずぼらな奴だ。

「伝えたぞ。私はもう帰るからな」
「ああ、はい・・・どうも」

 ふん、とその言葉を鼻で嗤った古伯はそれ以降、こちらを一切見ること無く部屋の中へ引っ込んだ。