09.

 マンションの謎はまるで解く必要が無いので脇に放り投げ、そしてその瞬間に六花は壁と衝突した。現時刻は午後7時を少し回ったくらいの時間。
 だが――自宅に居た時とは違い、待っていれば夕飯が出て来るわけじゃない。
 自ら作らなければ、いつまで経っても夕食には有り付けないのだ。幸いにも自炊という壁の存在を知っていた六花は米だけは炊いていたので、ふりかけさえあれば一食分は問題無いだろうがさすがに毎日ふりかけご飯は――無い。現代っ子としてあるまじき事態だ。
 もちろん、1階にコンビニがある。しかしコンビニの弁当は高い。全てを原価で販売するコンビニは24時間開いているという利点以外に、全ての物が高価であるという欠点がある。
 一介の女子高生たる六花は毎日コンビニ弁当などという贅沢が出来る身分ではないのだ。

「――で、米を炊いたのはいいが、肝心のオカズがまるで無い、と。クックック・・・お前は実に間抜けだな」
「煩いルシフェル。いいよね、貴方は物を食べなくていいんだから」
「そうだな。まさかお前の初めての自炊に付き合わなければならない、なんて事もないだろうし」

 一体どんな化学兵器が生まれるか、今から楽しみだ。そう言って堕天使は実に邪悪な笑顔を浮かべた。良い笑顔だが、相手を嘲るには打って付けだ。

「取り敢えず今日は――白米と水でいいや」
「えっ!?それ、本気か六花!」
「え・・・本気だけど・・・」

 オカズを作る、というのも一つの手だが失敗する事は目に見えているし、今日そんな物を作る余裕は無い。挨拶回りのお陰で六花のライフポイントはゼロだ。
 哀れな者を見るような――実際そういう目で見たルシフェルは悲しげに頭を振った。悲壮な表情を更に濃くする。

「いや、確かに俺もお前が料理下手だからといって何の得も無いと思うが・・・。卵を消し炭にしたりカレーを泥鍋にするのは二次元美少女の特権だからな。お前がそんな下手をしたところで何のメリットも無い。というか、笑って赦してやれるスペックが無いからな。だが、さすがに白米と水は――いや、これも可哀相な我が主の為だ、うん、そうだ」

 虚ろな目で半ば無理矢理、自分自身を説得するように呟いた堕天使は自然な動作で片手を振るった。

「え・・・えっ!?」
「ふふ、どうだ。腹一杯食べていいぞ」
「いやこれ・・・食べれるの?」
「本当にお前は失礼だな、六花よ」

 瞬きの刹那に現れたのは小さな机一杯に並べられた料理の数々だった。炭水化物以外、全ての食べ物が机の上に乗っている。何て贅沢。コンビニが霞むレベルの生活水準を今垣間見ている。
 おいおい、嘘だろ。そう思いながらも腹が減ったと主張する腹は素直だ。
 相変わらず胡乱げな目をした大悪魔は呟いた。

「・・・ま、これも悪魔の務めだろう。主人を怠惰にさせる――あぁ、ベルフェゴールの奴とキャラが被る・・・。もうお前、魔界に嫁げ」
「意味分からない。ていうか、何で悪徳積んだわけでもないのに地獄行き!?」

 善行を積んだ覚えも無いが、かといって地獄に叩き落とされる覚えも無い。とんでもない事を言ってくれるルシフェルを睨み付ければ彼はお手上げと言わんばかりに肩を竦めた。それが異様に腹が立つものの、夕飯を用意してもらっているので黙っておいた。

「あ、そうだ。明日から学校。ま、今日は日曜日だから当然だけどね。着いて来ないでよ」
「誰が好きこのんで学校に着いていくんだ。どうせ退屈なのに」
「そう言って中学の頃、大変な目に遭ったんだからね私!」

 そうだったか、と首を傾げるイケメンを前に六花はこめかみ辺りを押さえた。
 一般人には姿はおろか、声すら聞こえないルシフェルに延々と一日中話し掛けられたのはまだ良い思い出だとは言えそうにない。