04.

 家に帰った橘六花は深い溜息を吐いた。帰り着いたというより逃げ延びたと形容した方が正しいかもしれない。ルシフェルは頑として認めないだろうが。
 ともあれ、空っぽの鳥籠を机の上に置き、部屋に鍵を掛けて初めて悠々と佇む堕天使に視線を移す。言うまでも無く彼の機嫌は底辺をさ迷っており、出来れば話し掛けたくないレベルのテンションの低さだ。

「どうしよう。家賃的にも物件的にもハイツ神代が一番――私はあそこでまったく全然大丈夫なんだけどな」
「管理人が最低だがな」
「いや、管理人を最低にしたのはルシ――」
「あ?何か言ったか?」
「いいえ何でも!」

 ――ミカエルさんマジで助けて本当に。
 心中で泣き言を漏らすが、この程度で大天使を呼び出していれば彼はほぼ一週間に一度ぐらいの割合で我が家へお邪魔することになる。
 しかしどうしたものか。それにしても彼は傲慢が過ぎるというものだ。独り暮らし用より広く、安い物件。そんなもの曰く付きをわざわざ自ら探しているようなものだ。

「ねぇ、ルシフェル?」
「・・・・」

 が、悲しいかな、ルシフェルの同意が得られないとあのマンションに住むのは実質上不可能だ。あれが普通のマンションであったのならば彼の事を無視して住み込むのだが、生憎とハイツ神代に単独で乗り込もうものならどうなるか分かったものではない。
 そういう事情に疎い六花ですら感じる《異常》さを孕んだそれは、どうしても護衛というか守護天使と言うには禍々しすぎる彼の力が無ければ住めないだろう。

「ちょっと考え直してよ。別に、管理人さんは嫌な人じゃなかったって。貴方達が勝手に仲悪いだけで私に対してはお客様だったよ普通に」
「――お前はな、少しは疑うという事を覚えろ。俺は管理人の人間性が嫌いだとか言っているわけじゃない。確かにあの薄ら寒い笑顔を見たら殴りたくなるし、挽肉にでもしてやろうかという気分になるが、俺だって一応は大人なのだよ」
「えっと・・・じゃあ何が駄目なの?テキトーな事言って論点すり替えようとしてない?私、高校生だからね?さすがにそれじゃ騙せないと思うんだけど・・・」
「あ?」

 ぴきっ、とルシフェルの顔が引き攣る。
 しかしいつものように取っ組み合いの喧嘩に発展すること無く、哀れな子供を見るような目でこちらを見る。実に苛正しい表情だ。

「根本的な部分を忘れているぞ、六花。いくら曰く付き物件とはいえ、あの家賃は安すぎる。あれじゃあ誰を住まわせても赤字だ。俺は経営なんぞした事が無いから分からないが、それでも、そんな俺でも分かる、異常な安値なんだよ」
「はぁ・・・?」
「分かっていないという顔をしているな?だからつまり、あの管理人はマンション経営によって生まれる利に対して何の価値観も抱いていないということさ」
「・・・あー・・・」

 うっすらと理解する。つまり、神代戌亥はマンション経営の利益以外の何かを求めて仕事に精を出しているということか。
 ――えっと、それで?
 そう訊きたかったが、これ以上彼に何か阿呆な質問をすれば簀巻きにして川に捨てられそうなので止めておく。理解しても自分がどうこう出来る問題じゃないだろう。

「が、背に腹は代えられない。あのマンションしか無いならば、な。だが、十分に気をつけることだ。俺が四六時中お前に着いているわけじゃない」
「憑いているって・・・いや、ほとんど四六時中だよ。いやに人懐こい犬みたいな――」
「お前は俺の神経を逆撫でするのが趣味か?え?憑いてるって何だよこら」