1話:対神の治める土地

15.対神からの忠告(1)


 呆れた様子を醸し出した烏羽が一同を見やる。爛々と狂気の色が宿っていた双眸を伏せた彼は、やがて盛大な溜息を吐いた。

「興が削がれました。ええ、もう貴方方のお好きにされると良いでしょう。召喚士殿も私の言になどちっとも耳を貸しませんし。はぁ……」

 落ち込んでいる、と言うより苛ついている様子だ。本当に秋空のように変わりやすい心である。毎日彩りのある感情で、疲れはしないのだろうか。
 そんな烏羽はくるり、と踵を返すと村の方へと歩き去ってしまった。

 一瞬の静寂。その後に薄桜が沈黙を破る。

「召喚士様、その、ありがとう。薄藍の事を庇ってくれて」
「ああうん、まあ……」
「正直、本当に召喚士なのか半信半疑だったけど――うん、改めて。やっぱりあなたは召喚士なのだと思ったわ。あの烏羽から意見を勝ち取るなんて、そんな事が出来るのは月白くらいだもの」
「月白……?」

 阿久根村でも名前だけは聞いた存在だ。口振りからして、神使の1人なのは間違いないようだが。こちらの疑問に気付いたのか、薄藍が補足説明する。

「月白殿は烏羽殿の対神です。しっかりした方ですよ」

 散らばっていた情報が一つに集まる。烏羽は自身の対神に関する話題に対し、渋面だった。つまり彼にとっての天敵でもあり、切っても切り離せない存在――対神・月白。どのような人物なのかは分からないが、その内会ってみたいものだ。
 意識を飛ばしていると、薄藍が声を潜めて困ったような声音を絞り出した。

「申し訳ありません、召喚士殿。僕を庇ったせいで烏羽殿との関係性に軋轢を生じさせてしまった。非常に腹を立てている様子だったので、この後は気を付けた方がよろしいかと」
「あ、あれ、怒ってるのかな……」
「そうですね……。機嫌は良くない、とだけ申し上げておきます」

 どうやら自分の決定は彼を怒らせたらしい。周囲を見回すも、烏羽の存在は確認できない。本当にどこかへ行ってしまったようだ。

「ところで薄藍、身体は大丈夫? 村に戻って治癒術を掛けた方がいいかも。あなた、術を使うの苦手でしょ」
「はあ、不意討ち特化のくせに烏羽殿と正面からやり合うなんて、僕は馬鹿なのかもしれない」
「ま、まあ正気じゃなかった訳だし! でもまあ、真正面から黒系と戦うのは普通に自殺よね……」

 対神トークを繰り広げる二人に「ねえ」、と声を掛ける。少年少女の姿をした2人が、揃って花実の方に視線を向けた。

「どうしたの、召喚士様?」
「えぇっと、あなた達から見た烏羽についての情報が欲しいんだけど……」

 このゲームはβ版。攻略サイトなどは存在せず、一神使について知りたければ自分で情報を収集するしかない。収集相手もデータであるはずだが、彼等は烏羽の事をある程度情報として残してくれそうな気がする。
 顔を見合わせた対神の内、薄藍が口を開く。彼は初対面からかなり印象が変わった人物だ。

「端的に申し上げて、一個人で扱える存在ではないでしょうね。貴方様が恩人であるという贔屓を抜きにしても、送還をお勧めします」
「そうね、私もそう思う。見てれば分かると思うけど、アイツの気分屋は洒落では済まされないのよ。気分で思い付いた悪行を実行する為の力を持ってるもの。いい? これはとても恐ろしい事。召喚士様と言えど、奴の気分次第で明日には物言わぬ骸になっている可能性だってある」
「ああ。そして楽しさを優先する性質を持ちます。今回の件も烏羽殿にとってつまらない物であれば、早々に召喚士殿を放置してどこかへ消えていた事でしょう」
「そうよ、召喚士様。貴方の決定に口出しはしないけれど、強制送還という方法もある事は忘れないで」

 ――強制送還。
 キャラ売却とか、そういった類いのメニューだろう。メニュー画面にそういった事が出来る項目があったかは不明瞭だが。

 ところで強制送還。あまり使った事が無い。プレイスタンスが微課金プレイヤーなのでキャラの二重取得などという現象が発生する事などほぼ無いからだ。
 そこに加えて如何に不要なキャラクターであっても、1人ないし1枚はキープしておくのが基本である。余程の憎しみが無い限り、売却するという選択肢は無いと思っていい。

 それはそれとして。烏羽を強制送還するという選択肢はなかった。初期キャラ推し勢なので、それを売却などとんでもない。
 それに今回のストーリーでは彼の行動傾向やら本性やらがハッキリと見えた回でもある。このゲームに親密度や好感度が存在しているのかは分からないが、こういった類いのキャラクターと親交を深めるのもゲームの醍醐味。
 チュートリアルで引けるキャラクターなど、大抵のゲームではマイルドな性格をしているものである。それは当然の事で、最初からプレイヤーを罵倒するタイプのキャラクターを投入するのはプレイヤー離れの原因になりかねない。
 よって、花実としては初期キャラがあんなメタい性格なのは人生初だし、良さも或いは悪さも深掘り出来ていない状態で手放すのは――何と言うか、方針に反する。

「強制送還は……しないかな。最初の神使で思い出深いし、何より助けてくれた事もある訳だし」
「後悔はしませんか? 万が一、貴方自身の命が脅かされたとして、それでもあの時の選択を取り消す事はありませんか?」
「ないよ」

 ――だってゲームだし。
 そう思って少しだけ笑ってしまった。リアルとゲーム内では人間の考え方など、こうも変わる。
 そんな花実の態度を見て、薄藍は少し困惑し動揺したようだった。

「貴方様は――失礼な意図は当然ありませんが――烏羽殿の言う通り、まるで赤子のようですね。他者の悪意、敵意に殺意、この世には危険が溢れている事をちっとも理解していないようです。あまりにも無垢で、それでいて人間味が感じられません」
「……?」
「もっと視線を落として。貴方様は神の目線を以てこの場に存在している。自分がした選択でどうなろうとも、まるで自分には関係無いと言わんばかりの姿勢は……非常に心配になります。いっそ、貴方様の方が僕達よりずっと人では無い何かのようだ」

 そう言った薄藍が嘘を吐いていない事だけは理解出来てしまい、暫し思考が止まる。あまりにも言い聞かせる響きがリアル過ぎて、一瞬だけ現実とゲームの境目が揺らいだような気さえしたからだ。