1話:対神の治める土地

06.村の神使(3)


「それじゃあ、そちらもお元気で」

 ひらりと手を振った薄桜がくるりと踵を返して去って行く。変わって、機嫌が良くも悪くもなさそうな烏羽が口を開いた。

「――それで、召喚士殿。ええ、これからどうしましょうか? 奴はああ言っている事ですし、社へ戻りますか? 村の命運なぞ、差ほど興味もありませんし。ええ」
「いや、ちょっと調べたい事もあるし、普通にストーリー進めようよ。まさか阿久根村での物語がこれで終わりな訳ないだろうし」
「ええ? ぶっちゃけ、あの小娘の為に我々はこの地へやって来たようなものです。それが、感謝どころか門前払いとは……ええ。放って置いてよろしいかと」

 ――確かに薄桜ちゃんは可愛い神使だったけど、だから関わりたいって訳じゃないんだよね。
 イエスマン現代人なので、帰れと言われたら素直に帰ってしまうタイプの自分だが、これはゲーム。どうせならば、神使が――というかデータが嘘を吐いた素振りを見せた時、それが本当に嘘なのかを知りたかった。
 要するにデータにおける表情や声音の作り方をミスった結果、自分に『相手が嘘を吐いている』と誤認させたのか。それとも本当に嘘を吐いている時には嘘を吐いた挙動をしているのかが大変気掛かりである。

「烏羽……」
「ええ、何でしょう」
「さっき言ってた、村を守っている結界? とか言うのは、汚泥に破られる心配とかってないのかな?」
「無いでしょうね。ええ、奴等に知能は皆無。侵略する事、他生物を喰らう事、殖える事――極めて原始的な欲求しか持ち合わせていないようで。ええ。故に結界があまりにも薄すぎるという事態が起こらない限りは村へ侵入する事は到底不可能かと」
「でも、私達は普通に村に入れたよね」
「結界の横腹に人が通れる程度の穴を開けて、我々神使は出入りをします。この緊急事態ですのでね、ええ。折角の戦力を外に置き去りにした挙げ句、汚泥に喰われてしまっては笑い種にもなりません」
「あ、そうなんだ。なら実質、神使は自由に出入りできるんだなあ……。よく考えてるね」
「神使なぞ、一体の主神から生み出された根元を同じくする存在でございます。ええ。よって、似たような術、結界、戦術の類いを有している物です。結界もその産物なのでしょうね、ええ」
「……」

 薄桜の抱える、烏羽以外の懸念事項。それ即ち、村の内部を探られては困る事があるという事実に他ならない。何故なら彼女が自分の存在を『召喚士である』と認識した瞬間には、イコールで主神とやらの作ったシステムが手助けに来たのだという答えになるからだ。
 つまり、どの視線から見ても緊急事態で救済措置の手を借りないという選択肢は行動のバグだ。烏羽が恐いから、というのも間違いではないだろうが、それだけが理由でない事は確認した通り。

 やましい『何か』とは詰まるところ何なのか。現状において、花実はこの世界の仕組みやルールを熟知している訳ではない。
 パッと思い付くのは輪力の横領、などだろうか。が、これについては活動する為のエネルギーであって、枯渇してしまえば神使自身も困るような言い草だった。

「召喚士殿?」
「……」
「お考え中の所申し訳無いのですが、何者かが接近してきていますよ」
「……?」

 烏羽の言葉で顔を上げる。こちらを伺うように家の一つから顔を覗かせる、先程の村人女性の姿があった。
 彼女は周囲をおずおずと伺うと、家から出てくる。その手には小さな丸いお盆を持っていた。湯気の上る湯飲みが二つ、ちょこんと乗せられている。
 やがて眼前にまでやって来た女性は、少し怯えている様子でこちらに対して湯飲みを差し出した。

「し、神使様。屋外ですいません、運動をされた後のようですし、お茶でも如何かと……」

 ――メッチャ良い人……。
 きっとこの挙動からして、烏羽と薄桜が争っていたのを見ていただろうに。それを何らかの運動と割り切った上で、茶まで用意してくれる。先程の子供みたいな喧嘩模様が恥ずかしくなってくるくらいだ。

 一方で諸悪の根源は、悪びれもせず最初の気味が悪い爽やか過ぎる笑みを浮かべた。しかし、飛び出す言葉は確認するまでもなくシンプルに大嘘である。

「ええ、煩くしてしまって申し訳ありません。久しぶりに会ったので、手合わせしておりました。ええ」
「そっ、そうだったんですね」
「ああそれと、我々神使は食事を必要としません。私に茶など不要ですよ。ええ」
「あ、ああ、そうなのですね……。薄桜様は――最近はとんと減りましたが、よく食事をされるので。忘れていました」
「食事が趣味なのでは? 知りませんし、あまり理解も出来ませんが」

 ――さっきは茶ぐらい出せ云々って言ってたのに。
 あれもただの煽りだったという事か。薄々気付いてきたのだが、多分この烏羽、かなり性格が悪いな?
 何はともあれ、彼女に話を聞いてみよう。没入型RPGと言うだけあって、NPCもこちらの問いに明確な答えを述べてくるパターンがとても多い。こうやって村人と物理的に会話をしながらクエストを進めて行く形式なのだろう。てっきり、テキスト形式で自動的に進むのかと思っていたが、帰れと言われるし。

「あの、ちょっと聞きたいんですけど……その、薄桜さん? ってどんな神使なんでしょう」
「薄桜様ですか? そうですね、とてもお優しい方ですよ。汚泥の侵略以前から村に駐屯して頂いているのですが、全くお変わりない姿で。私などは子供の頃から薄桜様にお世話になっております。一緒に畑仕事をした事もありました。子供の遊びに付き合って下さった事もありました。村の者は皆、薄桜様に感謝し慕っていますよ」
「そうなんですね」
「はい。私が生きて来た時間の中で村に神使様が複数名いらっしゃるのは、実は初めての出来事だったりします。その……あの、あまり、性格などは似ておられないようで。てっきり、神使様は皆、薄桜様のような方なのだと思っていました。て、手合わせなどと、結構過激なのですね」
「そ、そうですね。他に薄桜様? に変わった所とかは……あ、その、汚泥の侵略が始まった後からの話になるんですけど」

 少し考え込む素振りを見せた彼女は、ややあって「あ」と思い出したように話始めた。

「数日前の話になるのですが、薄桜様が夜中に結界の外へ出て行かれるのを目撃しました。私達、村民は結界の外には出られないのですが……その、こっそり様子を見に行ったら、誰かとお話をしていたようで。でも、私達は外に出られないので……あれは誰だったのでしょうか。あ、もしかして、あの時から烏羽様達は村の近辺にいらっしゃったのでしょうか?」
「それまで、薄桜様は夜中に出歩いたり、誰かと密会している事は無かったって事ですか?」
「そうですね……。そういった話は、あまり聞きません。そも、私達が神使様方の動きを全て把握するのなど難しいですし、不敬でしょう」

 数日前の話ならば、密会相手は自分達ではあり得ない。そもそも、密会したという事実も一切無い。
 これが薄桜の隠し事になるのだろうか。考えていると話を遮るように烏羽が言葉を紡いだ。

「成程、面白い話を聞きました。ええ、ご婦人、もう家へお帰りなさい。有用なお話をして頂いたせめてもの慈悲……一時は、外出を控えた方がよろしいでしょう。ええ」
「え、あ、はい。承知致しました」

 素直に烏羽の忠告を受け取った彼女は、一礼すると自宅へと戻っていった。