楽譜を見つめ、途方に暮れていると部屋が静かにノックされた。《道化師の音楽団》においてノックをする人間というのは貴重なもので、真白が知りうる限りで礼儀を弁えているのはたった二人だけ。
一人は保護者であるディラス。もう一人は団長であるアルフレッドだ。
それ以外の人間はせっかちなのか、そもそもノックという文化が存在しないのか勝手に部屋を開けて入って来ようとする。鍵が付いていなければ大惨事だ。
「だれ?」
ドア越しに尋ねる。アルフレッドならば追い返してやろうと思ったのだ。
「入れろ。用事は済んだ」
「・・・ディラス」
ほとんど命令するように言う男の静かな声。無責任な指示を出して行方をくらませていた保護者が帰還したようだ。
素直にドアを開ければ少し不機嫌そうに眉根を寄せたディラスその人が悠然と佇んでいた。常に来ているスーツを久しぶりに見た気分である。
「どうしたの?」
「出掛けるぞ。支度をしろ。今すぐに」
「どこへ出掛けるのよ」
「ヴィンディレス邸跡地だ。あそこならばすでに崩壊しているようなものだから、今更それがさらに崩れたところで文句を言う人間もいないだろう」
――ヴィンディレス邸。
真白がこの世界へ来て二度目に行った破壊活動の跡地。死者2名を出し幕を閉じた、世間一般で言う『貴族殺し』事件を思い出す。どうやら予想以上に大事になったらしいが、それについてディラスは愚痴を溢す事など無かった。
「セッションでもするの?伴奏ついてるみたいだし」
「当たり前だろう。お前に伴奏の素晴らしさを伝える為に書いたのだから」
「へぇ」
一度だって伴奏に耳を傾けた事など無い。合わせて歌った事なんて無い。組んでいたグループもあったが、彼等彼女等も自分の仕事を自分が出来うる限り全力で取り組んでいただけで、協調性なんて欠片も無かった。
だからこそ、チームとして成立していたようなものだが。
職場は戦場だった。それだけは確かだ。
「10分後に玄関で待ち合わせる。遅刻するなよ」
「分かった」
くるりと踵を返したディラスはヴァイオリンのケースを担いでいた。どうやら声を掛ければ直ぐさま出掛けられると思っていたらしい。女の子の支度時間を嘗めるな。