10.

 クレアの姿が完全に見えなくなったことを確認し、手を止めて彼女が逃げていく様をただ黙って見ている《ジェスター》へ視線を移す。
 さっきから大仰な脅しの台詞を吐いているが、彼にはさほどやる気があるようには見えなかった。どこか手を抜きがちだし、何よりこちらにまるで集中していない。恐らくは捜している少女の事が気になっているのだろうが。
 一瞬、クレアを追うのではないかと緊張したが、どうしても目の前の優雅な道化師が走る姿を想像出来ない。
 警戒するように、もしくはいつでも攻撃を仕掛けられるように構えれば温度のない冷め切った瞳がこちらを見る。緩やかに弓を構えた彼にはやる気こそなかったが、容赦も無かった。

「追わせんぞ・・・っ!」
「追うつもりは無い。言っただろう、僕は、暇じゃないと」

 それに、と王宮道化師は目を眇めた。

「僕が追わなくとも、屋敷のどこかにいる双子が始末するだろう。遭わなかったのならば、あれに運があっただけの話。僕には関係の無い些事だ」
「・・・そうか」

 再び旋律が響く――そして、止まった。

「やっほー!ディラス!元気に殺ってる!?あっはははははは!!」
「獲物はっけーんッ!いきなり走り出すから何だと思ったじゃんかよぉ!ははははははははっ!!」

 忙しない声と共に室内へ飛び込んで来た――双子。気が狂ったかのように嗤い続けるその様は戦慄するのには十分過ぎた。
 呆れたように溜息を吐いた《ジェスター》が肩を竦める。雑音が入ったので演奏は中止したようだった。

「何だお前達、外に小娘がいただろう?」
「え?いや知らないよ」
「そうそう。俺等はこの部屋に入るまで誰ともあってねぇって!」
「成る程。ならば仕方あるまい」

 どうしたの、と双子が交互に問うがそれら一切を無視し、僅かに口角を釣り上げた彼は呟くように言った。

「良かったな。お前はここで死ぬが――逃げた小娘は、助かるかもしれない。運が、良かったな」

 呆然と優雅に佇む道化師を見やった刹那。
 彼が指揮者のように腕を振るった。
 ――視界が、暗転する。最期に聞いたのは、何か重いものが床に転がる生々しい音だけだった。