コンコンコン、そんなノックの音で目を醒ました。はっ、として飛び起きる。考え事をしていたら寝てしまうなんてどこの少女漫画だ。
ともあれ、ノックの主はディラスが――可能性としては薄いがアルフレッドのどちらかだろうと当たりをつけ、何の警戒も無くドアを開く。いちいち尋ねて来る人間を警戒する程、真白は危険な世界に生きていなかった。
はたして、開けたドアの先に立っていたのはディラスでもなければアルフレッドでもなかった。
長いエプロンドレスにレースのカチューシャ、無表情の顔に整った姿勢。
「――メイド・・・?」
ディラスと何やら言い争っていた例の侍女、メイド。名前は確かリンネ。
何の用だと黙って見つめ返せば彼女は軽く会釈した。
「私はヴィンディア邸にて侍女頭を務めています、リンネと申します。以後お見知りおきを」
りん、とどこからか鈴の音が聞こえた。
「貴方にお話があって来たのですが――お時間は空いていますか?」
「・・・えぇ」
「それは良かった」
そう言って、とても一介のメイドとは思えない程に図々しく、彼女は部屋の中へ入り込んで来た。拒否、逃亡、逃避全てを赦さないと言わんばかりに。
鈴、凛、綸と。鈴の音が響く。
ほとんど反射的に数歩後退ればリンネはそれ以上距離を詰めて来なかった。どうやら会話するには少し遠いこの距離で話すつもりらしい。
彼女は冷たい表情のままに口を開いた。
「――貴方はクズです」
「・・・は?」
耳を疑いたくなるような発言、言葉。ほとんど初対面と言って差し支えない人間に対して吐く言葉ではない。真白ですら疑問と畏怖を以てして彼女を見返す。が、やはり彼女の表情は1ミリだって動かなかった。
「私は、貴方が我等の屋敷で寝泊まりし、更に入団して活動するなど吐き気を覚えるので是非辞退して頂きたいと思っています」
「何を、いきなり――」
「選択を出来ない人間。選択を放棄する人間――私は、そんな人間に嫌悪すら覚えます。よって、貴方という存在がすでに目障りです。同じ空気すら吸いたくありません」
一瞬、先輩の後輩いびりなどという絵面が脳裏を過ぎったが――それと現状はまるで別物だろう。目の前のメイドは真白の先輩などではないし、それに彼女は『真白という少女存在が気にくわないから因縁を付けている』わけではない。
彼女は『貴方という人間を心の底から嫌悪している』のだ。よって、彼女のそれは心の底からの本心であり本音だ。覆る事の無い絶対方式。明確な理由のある憎悪と嫌悪と悪意だ。
完全に予期していなかった攻撃を前に、面食らった真白だったがそれも一瞬だった。もともと他人の考えている事など分からないのがデフォルトである。よって、考えてもリンネの言わんとする事を理解出来るとは到底思えなかった。
「つまり、私に断って欲しいと言っているの?」
「はい。そうです」
「――それを、貴方にとやかく言われる謂われは無いのだけれど」
「貴方は自分で決断しないのでしょう?ならば、私のせいにでもすればいいじゃありませんか」
それは奇しくも――正論だった。言い返す余地さえ無い程の、真白自らが掘った墓穴に叩き込まれたような感覚。
久しく体験していなかった、五臓六腑が冷えて身体の芯から浸食していくような不快感に目を眇める。若くして競争社会に身を置いていた身としては、この程度日常茶飯事であると言っても過言ではなかった。
だが――こうも、核心を抉ってくる人間は初めてかもしれない。
「帰って。それをどうするのかは私が決める事。貴方に指図されたくない」
「――決断するのですか?貴方自身が?」
それは確実に皮肉の言葉だった。が、彼女の言葉の数々は確かに真白の背を押したのだろう。形はどうであれ、そこに嫌悪と悪意が混じっていても。