ヴィンディレス邸を解体するという前代未聞、空前絶後の大犯罪じみた事をやってのけてから3日が経過した。治安が悪いというか、内外での争いが激化しているがために国を挙げての犯人捜し、などという事態に発展していないらしいのがせめてもの救いである。
ヴィンディレス姉妹が暗殺組織《黒鏡》を雇っていた、というのも原因の一つであろうが。
「足が痛いわ・・・」
「僕だってそうだ。泣き言を言うな」
「言っていないわよ」
――さて、懲りずにここは宿である。
真白とディラス、音楽中毒者一行は毎日の時間を移動という行動に費やし、現在では最初の村から遠く離れた地にいる。
音楽家は決して体力が無いわけではない。時には数十分、或いは数時間、楽器を演奏し続けねばならない事だってあるし、何よりディラスは明らかに常軌を逸した殺し合い行為に身を投ずるぐらいには体力、瞬発力ともに桁外れな人間である。更に言えば成人男性。
対して真白はひ弱な少女であったし、何より平和な現代日本に生きてきて移動はもっぱらタクシー。両者の体力は雲泥の差がある。埋めようもない差が。
「もう少し私のことも考えて移動してよ」
「前にも言ったが、僕は連れを付けた事が無い。お前がどのくらい歩けば疲れるかなんて、計算したことも無いな」
「ちょっと考えれば分かるでしょう?」
独り言のように呟き、真白が靴を脱いで足の裏をさする。大きなマメが出来ているのは見ずとも分かる話だった。
「何だ?怪我でもしたのか?」
「――マメが出来たの」
「・・・ふむ。思った以上にひ弱だな」
何故か感心したように呟いたディラスが頭を振る。
「だが、明日一日歩けば目的地に着く。もう少し我慢しろ。何なら背負ってやってもいい」
「・・・いいえ、結構よ。そもそも、ヴァイオリンのケースが邪魔でしょ」
「お前が背負えばいい」
そんな音楽家の言葉に想像力を刺激される。
ディラスが真白を背負い、その真白がヴァイオリンのケースを背負う――成る程。予想以上にシュールな光景だ、それは。
そういえばヴァイオリンを引き取りに行く、何とかパーティーの本拠地だ、みたいな事を彼は言っていた気がするがそれは一体どこへ行くという意味なのか。
訊こうと思って止めた。
地形などまるで分からないのだ。場所を説明された所でどこだか分からない。着いて、ここだ、と言われるまで分からないだろう。
「そういえば」
「何?」
「楽譜が完成しそうだ」
ぎょっとして動きを止めた。
楽譜が完成するということは、真白は用済みでありそうすると彼のもとから放り捨てられてしまう。そうすると確実に野垂れ死にすることになり、彼女としてはどうしても避けたい事態だった。
どこか上機嫌な音楽家の背後から続きを書こうと広げている譜面を覗き込む。
「・・・一小節しか書けていないじゃない」
「最初の一小節が難しくて、どうしても合わなくて、どうしても書けなかった。これが書ければ後は簡単とは言わないが、最初ほど難しくもない」
不意にディラスが顔を上げた。微かに笑っているように見えるその顔。小さく呟いた声はこの近さだと微かにではあるがちゃんと耳に届く。
――だからもう一回歌って欲しい、と。