10.

 訳が分からず音楽家を見ていれば、彼はふわりと右手を動かした。まるで指揮者のように。その動きに合わせて、真白の眼前でナイフを振り上げていた暗殺者が横っ飛びに跳び退る。
 しかし、目を眇めた彼は真横に跳んでそれから動こうとしない。眼球だけを動かし、自分自身の身体を睨め付けるように入念にチェックしている。

「――成る程。本物の弦か。そうだよな、楽器を使うだけ、ただの《ローレライ》であるのならば《ジェスター》などという忌み名は付けられないだろう」

 独り言のように呟き、セドリックはおもむろに目ではよく見えない――半透明の糸、即ち弦を握りしめる。そもそもから手袋をはめているので多少手を切るかもしれないが、それはダメージとして考慮しないのだろう。
 それを見越した上で、ディラスは静かに言い放った。実に威圧的で高圧的で、何よりも挑発的に。

「弦を引き千切れば依頼人の命は無いぞ」

 ――脅し。暗殺者にとって依頼人を殺される事は任務失敗と同義である。レイラが自らの命を省みず、ディラスを殺せと命令しない限りそれは限りなく大敗であり、覆しようのない条件への背信だ。
 思わぬ方向へ流れ出したストーリーの顛末を、加害者でありながら傍観者のように見つめる真白も動かずにいた。その弦とやらが動く事で絡まっては危ないと理解していたからだ。

「あ、あなた・・・ッ!《ローレライ》のくせに、弦なんて、暗器じゃない!?」

 両腕を拘束され、更に命は無いとまで宣言されたレイラは声を震わせて悲鳴を上げるように叫ぶ。
 が、彼女の言う事はもっともである。何故なら弦とは楽器に手順を踏んでセットしなければそれはただの糸であり、ワイヤーである。それを単体で楽器とは呼ばない。
 ピアノを弾く《ローレライ》の言葉をディラスは鼻で嗤った。まるで、見当違いの発言をせせら笑うように。

「宮廷道化師の名を冠する僕に正当さを求める事そのものがお前達の失敗だ。何故なら欺き、騙し、裏切る事が僕達のアイデンティティであり、それをとやかく言われる筋合いは無いのだから。それに、今行われているのは《殺し合い》。ルールがある音楽会とは違うだろう」
「はぁ!?ばっかじゃないの?じゃあ、私達は何の為に奏でているのよ!?音楽家だからでしょう?」
「ふん。どうもお前とは話が合わないようだ。僕はここに演奏しに来たわけじゃない。言わなかったか?僕は僕の創作活動を邪魔したお前を殺しに来た」

 そう――それは、真白を助けに来たわけではない。半日で情が湧かないのはどちらにとっても同じ事だ。よって、そんな心無いディラスの発言についても真白は動揺どころか関心すら持たなかった。
 それは当然のことなのだから。真白という少女の為だとかそんな偽善じみた言葉は要らない。

「じゃあ――この子は!?この子は何なのよッ!」

 それを問われても――否、その問いに答える時でさえ、道化師は顔色どころか表情すら変えなかった。

「創作活動に必要な資料以上の意味は持たないな。何か、と問われると答えに窮するが」

 そうして――やっと、ようやく、遅すぎる程に今更。
 真白のターン。
 話に夢中になっている間、目を凝らして弦を避けつつセドリックから距離を取った彼女はすでに次はどうするべきか、一応は《殺し合い》慣れしているらしいディラスの言葉を待つ。

「真白」
「何」
「見ての通り、僕は牽制の為に弦を操るので精一杯だ」
「えぇ。それで?」

 それはつまり膠着状態。しかし、表情を動かさず、真白は問い返す。
 ディラスの深い青色の瞳が少女を捉え、言葉を紡ぐ。どう聞いても命令形の言葉を。

「――歌え」