12.

「――ふぅん、音楽家と名乗るだけはあるのね」
「お前に誉められたところで嬉しくも何とも無い。何故なら僕は拍手喝采を頂く為に奏でているわけではないからだ」

 ピアノとヴァイオリンの二重奏――などという美しいものではない。それはただの不協和音。互いが互いに勝手に奏で、響かせているだけ。どちらの主張も激しく口ではなく音で言い争いをしているかのようだ。
 動いているのは演奏者だけ。

「そういえば名乗っていなかったわね。私、ミリアっていうの」
「だからなんだ」
「貴方は?《ジェスター》なんて役職名、貴方自身を指しているわけではないのだから嫌でしょう?」

 会話を交わしながらも旋律は止まない。
 暫し逡巡したらしいディラスはしかし、自らの名前を紡いだ。知られようが知られまいが関係無いと思ったのである。

「そう、ディラスっていうのね」

 満足そうに頷いた女――ミリア。その腕に黒く細い何かが絡みついた。肉眼では細すぎて見えなかったそれも、何重にも巻き付けば認識する事が出来る。奏でる旋律が少しだけなだらかになった。代わり、ヴァイオリンを弾いているディラスの弓が大きく動く。
 さながらマリオネットのように両腕を束縛され、なおもピアノを弾き続けるミリアは自嘲気味に微笑んだ。ずしり、ずしり、ずしり。腕が、重い。

「――無駄口を叩くのは止めた方が良い。お前は、自分が奏でる音にノイズが混じる事を気にしないのか」
「さぁ・・・ね?貴方と楽しくお喋りしたかったのよ・・・」

 問い掛けではなく、断言であるがミリアはそう答えた。瞬間、黒い何かが首に絡みついて一瞬呼吸が止まる。強く締め上げられた腕からは真っ赤な鮮血が滲み出し、白い袖を赤く染め抜く。
 何て残酷な。ディラスは演奏を止めない。止めるのは音楽家としての矜持に反するからか或いはミリアが生きているからか。
 真綿で首を絞められるように段々息が苦しくなる。

「これは――弦・・・」
「そうだ。お前が《ローレライ》でなければとっくの昔にバラバラの惨殺死体になっている」

 そう、と呟いた瞬間完全に鍵盤を叩いていた腕が動きを止めた。それを皮切りに。水の入ったコップを逆さまにする要領で。じわりじわりと力をゆっくりと込めていた黒いその弦が腕を締め上げ切り落とし、胴に食い込んで首を刎ねた。
 意識が途切れる前。最期に聞いたのは何食わぬ顔でヴァイオリンの旋律を奏で続ける《道化師の音楽団》、《ジェスター》の地位に君臨するディラスという音楽家の小さな小さな嘆息だった。


 ***


「――時間を潰したな」

 顔色が異常なまでに悪い数十名の死体と、全てのパーツをばらばらに切り離された惨殺死体が一つ。凄惨なその光景を一瞥すること無くディラスは呟いた。
 ヴァイオリンとその弓をケースにしまいかけて止める。まだ他に敵が潜んでいるかもしれないし、何よりそうなった場合また取り出すのは何かと面倒だった。とりあえずは真白を連れて宿を出るとしよう。こんな腐臭漂う場所で寝泊まりしたくないのは自分も同じだ。
 すでに深夜零時を回っている。
 今から新しい宿を探すなど御免だがそうも言っていられない。
 もう一つ溜息を吐いたディラスはのろのろと階段に足を掛けた。