03.

 やがて壇上に上がった惣田真白は唐突に声を止める。一曲歌い終わったのだ。
 街の広場らしきその場所には人っ子一人おらず――否、一人。一人だけ少し離れたベンチに腰掛けているのが見えた。手にはヴァイオリンと弓を持っている、が動く気配が無い。あの距離だと歌声は届いていただろうから巻き込まれて心停止状態にでも陥っていて可笑しくないだろう。
 無感動にそんな事を考えながら、ドレスに付いた埃を払う。マフラーが綺麗な事を確認し、歩きにくい靴を引き摺って下りる。
 何となくその男の興味が湧き、近づいてみた。
 髪は短くウェイブが掛かっており、濃紺色の不思議な色合いをしている。閉じられた瞳の色は分からないがどことなくエレガントな、上品な男であった。そして、スーツ姿の旨の辺り。逆さ音符、銀のブローチが輝いていた。これは何か意味のある物なのだろうか?

「こんな所にいなければ巻き込まれず済んだのに」

 自分でやっておいてそう呟いた真白は何気なくそのブローチへ手を伸ばした。

「触らない方が良い。お前には荷が重いだろう、そのブローチは」
「!」

 静かな、しかし強い口調でそう言ったのは死んだと思っていた男だった。やがて、息を吹き返したかのようにゆっくりと瞼を上げる。隠れていた瞳の色はどこまでも深い青色。とても日本人の色には見えない。というか、先程から出て来た登場人物に日本人らしき人間は一人もいなかったのだが。
 一瞬驚いた真白はしかし、取り乱したりしなかった。黙ってベンチに腰掛けている男を見つめる。

「そうか、お前は《ローレライ》なのか。まあ、珍しい事でも無い。僕だってそうだ」

 言いながら男が立ち上がる。そして、ゆっくりとそのヴァイオリンをケースの中に仕舞った。出しておきながら弾くつもりはなかったらしい。
 流麗な動作で真白を見据える。

「僕はお前のような人間に初めて出会った。まるで、歌う為だけに生きているようだ」
「えぇ。私は歌う為だけに生まれて、歌う為だけに生きていると宣言出来る」
「そうだろうな。まさに、命を燃やす歌だ」

 僕は、と無表情のままに男は呟く。

「僕は、あまりこういった事をする柄じゃないが――賞賛と喝采を、お前に送ろう。久しぶりに感動した」

 ぱちぱちぱち、と静まり返った広場にたった一人だけの手を打つ音が響く。
 真白は胡乱げな瞳で男を見上げた。背の高い男だ。というか、拍手などされたのはいつ以来だろうか。歌う度に事故を引き起こしている真白に喝采を送る人間などそうそういなかったのでもしかしたら初めてかもしれない。