黒い艶やかな長髪をツインテールにして結い上げ、首下にはトレードマークの白いマフラー。同じく漆黒の瞳には何も写っていない。ショートドレスを着て椅子に黙って座っているその様はまるでビスクドールのようである。
希代の天才、歌う人形――その他諸々、周囲の人間が彼女に下した評価はそれだった。見ていて飽きないだとか、可愛らしいだとか、歌が上手だとか。少女にとってそれは車が走る音とか、雨音とかと同じものでしかなかった。
「真白ちゃん、真白ちゃん」
そこへプロデューサーらしい女性が入って来た。人間にまるで興味の無い真白にはよく分からないのだが、彼女が自分の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれるのを知っているので黙って立ち上がる。
恐らく今から収録とやらが開始されるのだろう。
面倒だ。面倒だが――歌が歌えるのであれば、それでいい。
「最近、照明が落ちたり脳卒中でファンが倒れたりして気が滅入っているだろうけれど、気にせずいつも通りに歌っていいからね。大丈夫、きっと偶然が重なっただけよ。よくあることとは言わないけれど、絶対に無いことじゃないわ」
「収録ですか?」
「え?あ、えぇ!じゃあ、行きましょうか」
この女性は惣田真白という人物が『何であるのか』を理解していない。真白自身は自分の思いの丈を誰かに知って貰いたいとかいう願望とは無縁であり、彼女に自分の考えや思いを打ち明けるつもりもない。
だが――ただ一つ間違いを訂正するのだとすれば。
真白が一連の事件について落ち込んだり塞ぎ込んだりしているか、と問われれば否としか答えられない。
何故なら――そんな事象は、歌を歌えるか歌えないのかという二択の中に絡みもしない、ただの空気と同じ事象だからだ。よって、真白がそれについて罪悪感を覚えたり歌うのが嫌になったりなどそんな感情を覚えるはずがないのだ。
黒いショートドレスを翻す。いくらその上品で優雅な拵えにマフラーが似合っていなくとも、そのマフラーだけは手放さずに。
***
案の定――やっぱり、どうしようもなく。
収録時間3分にしてそれは起こった。いつも通り真白が歌い、周りを感嘆の渦に巻き込んでいる最中。
唐突にスタッフの一人が立ち上がった。彼は偉い人間だったのかパイプ椅子に腰掛けていたのだが、まったく唐突に立ち上がった。周りの人間が驚く中、ずかずかと舞台の中へ歩み出る。
もちろん、真白は歌い続ける。途中で歌う事を辞めるなどあり得なかったのだ。
というか男の出現に気付いていなかったのかもしれない。
――止める暇も無かった。
どこから持って来たのか、バタフライナイフを取り出したその男性スタッフは奇声を上げ、舞台で歌い続ける真白へ突進した。まるで猪か何かのように。
「ああああああああああああっ!!」
希代の天才が奏でる歌声と男の低く耳障りな奇声が混ざり合い、奇妙な体をなす。
男がようやっと立ち止まった時、そのバタフライナイフは遠慮容赦無く少女の身体を、心臓の辺りを貫いてグリップの中程まで埋まっていた。
真白の歌声が壊れかけたラジオのように雑音と混じり合って、溶けるように消える。
刺されてなお歌い続けようとしていた少女の小さな唇から大量に鮮血が吐き出された。自らの血液で歌う事を封じられた少女はようやく力無く舞台に倒れる。黒いショートドレスが濡れたように色を濃くしていく。
ぼんやりと自分を刺した男を見やった。ずるり、と胸部からナイフを引き抜いたその男は再び片手を高く掲げている。その顔は最早、正気というにはかなり無理があったのだがそんな事はどうでもよかった。
歌う為に生まれ、歌う為に生きる。
それが真白の生き方であり、生き様である。ようは彼女にとって最期まで歌っていられるかが問題であり、つまり男がこれから何をしようと知った事ではないのだ。
浅く息を吸い込み、口を開く。
奏でる声音は澄んでいるとは言い難かったが、それでもそれは歌だった。
希代の天才、惣田真白。享年19歳。死因、ドラッグを多用していた男性スタッフに胸部を刺され、更に腹部を滅多刺しにされて死亡。
そう新聞の記事に載るのは明日の話である。