もう、どのくらい仕事に没頭していただろうか。
ふと目の奥がツン、と痛んだのを感じ神楽木一色は目頭を揉んだ。そんなものは気休めで、ずっと酷使され続けた眼球はもはや限界の域に達していたのだが。
仕事を溜め込んだ国主、鳳堂院石動のおかげで基本的には家の中へ持ち込まない仕事を持ち込む羽目になってしまった。城へ泊まればいいのかもしれないが、それこそ疲れるので丁重に断ったのだ。
「誰だ?」
不意に戸を遠慮がちに叩く音が聞こえた。だいたいの当たりはつくものの、至って事務的な要領で問う。
「一色様、お茶とお菓子を持ってきましたよぅ」
変に間延びした声。誰だと訊いたのに、それに対する答えは無いらしい。しかしそれも彼女らしさなので黙認。誰だ愛妻家とか言った奴は。
入れ、と言えば遠慮なしに妻である志水が姿を見せた。お盆に湯飲み二つと菓子を持っている。何故二つあるのか、という無粋な問いは無しだ。彼女にとっては夫が仕事をしている、という概念は無いに等しいのだから。
「一緒に食べましょう、一色様?少しは休憩なさってください」
「あぁ、すまんな。茶請けは煎餅か」
「えぇ。なんでも、美味しいと評判らしいですよぅ。旦那様と食べたかったから、ずっと待っていました」
「そうか」
赤っぽい色をした至って普通の煎餅。誰の勧めなのかは知らないが、ただの煎餅じゃなかろうかこれは。
一口齧ってみる――
「うごっ!?」
ほとんど反射、残りは自然的な割合で湯飲みに手が伸びた。慌てて熱すぎる緑茶を流し込む。
「あらあら、どうしました?」
「いやこれっ・・・辛いだろう!?辛すぎて味とか分からないのだが!」
「そうだったのですか。なら、私は遠慮しておきますわぁ」
「誰の勧めだ、誰の!」
「千石が美味しい美味しいと言って食べていたので」
息子である神楽木千石。彼は辛党である。
自分の子供の好みぐらい把握しろ、と言い掛けてその言葉を呑み込んだ。彼女にそういった類の注意は無駄だろうと。